魚眠洞はインフルで1週間寝込んでいた。
「凄いね!魚眠洞!人に感染させないために学校休むなんて!
前はそんな社会性無かったよ!作家says社会性だヨ!」
ナナミが看護婦の格好でつきっきりで看病してくれた。
だが生憎、魚眠洞は看護婦があまり好きではないのだ。
布団の中で魚眠洞は本気で苦しんでいる。
熱は9度5分ある。
「ナ……ナナミ……なんか元気が出ないんだが……」
ナナミは首を斜めにする。
「そぉ?おかしいね。こういう生命の危機には子孫を残すように働く筈だけどね」
なんだが熱が2分ほど上がった気がする魚眠洞である。
自分の子孫なんて……生まれてくる意味は無い……。
ネガティブな思考が頭の中を支配する。
魚眠洞の母親がシチューを持って部屋に訪れる。
「あ、お母様、ふつつか者ですが、どうぞごよろしゅう」
ナナミが三つ指をついて厳かに一発ネタをやらかす。
ナナミを完全に無視してシチューを置いてさっさと帰っていく魚眠洞の母親。
ナナミは魚眠洞に抱きついて数十リットルの涙を撒き散らした。
それをさらに無視してシチューの方にノロノロと向かう魚眠洞。
スプーンで一口食べた。
「あー、いけるわコレ」
「帰ったら私がたんと食べさせてあげるからねッ」
涙をキラキラ振り撒きながらナナミが笑った。
それを横目で見つつスプーンをくわえたまま固まる魚眠洞。
ナナミもハッとした顔で固まる。
そのまま10秒。
「あっ……『あーん』してあげよっか……」
魚眠洞は無反応を返した。
ナナミは肯定と受け取る。
パッと笑顔になってスプーンを受け取る。
シチューを一掬いして、ゆっくり魚眠洞の口元に持っていく。
魚眠洞の口が少し開く。
ナナミの顔が何故か少しずつ紅潮する。
まあ、そういうアレなのだろう。
「あーん」
ナナミが目を細める。
「魚眠洞おおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
ドアが思い切り開いてビックリしたナナミの持つスプーンのシチューは
魚眠洞の鼻の穴に勢いよく侵入した。
「熱ーーーー!!!」
「ごめーーん!!!」
「HAHAHA!お前ら相変わらず儲かってねーみたいだなァ!!!」
入ってきたのは茶髪をスタイリングウォーターで逆立たせV系のファッションでキメた男。
その男を二人は知っていた。
「深夜特急!俺は今風邪で弱ってんだよ!インフルだインフル!」
「もォー深夜鈍行!今すぅんごぉい良い所だったのにィイ!」
ブーイングの対象になっている男は深夜特急という。
魚眠洞の中の中二病その他悪しき魂の塊である。
「うひゃひゃ!んめーナナミ!お前の存在が一番魚眠洞君にとって害悪なの、
まだ分かってない系か?まじぱねっす!リアルじゃねーにも程があらぁ!」
ナナミを指差してゲラゲラ笑う深夜。
ナナミは顔を真っ赤にして頬を膨らませた。
「病気で魚眠洞の心のバランスが崩れたから封印された悪しき魂が復活してきた!
きっと私の実力不足!私はまだまだ魚眠洞のパートナーになりきれていない!」
一人でブツブツ呟きだした。
魚眠洞は本気で弱っているので勘弁してよな表情だ。
深夜を相手にする気力はいつも以上に残っていない。
「なるほど流石の魚眠洞君も周りに感染する可能性を案じて家に引っ込んだわけだ。
辛いだけなら学校行くよないつもなら。社会性ついてきたんじゃね?」
「私と同じコメント言わないでよ!アンタなんてレーゾンデートル無い!」
深夜は一層大げさに笑い出した。
「しかもタミフル飲んでっから危なくて実家か。そりゃお前その辺の奴より
自殺願望持ってるもんな!やっぱ花の孤男だ!害悪細菌孤男だ!」
ナナミの額で何かがプツンと切れる音がする。
最初の踏み込みで一気に深夜に迫った。
高速の右フックを繰り出す。
高い音を立ててナナミの拳は受け止められる。
深夜はそのまま強く握りつける。
「くっ……!」
ナナミは苦渋の表情を浮かべる。
おどけた顔の深夜。
「俺に勝てるかよ。お嬢さん」
「名前で呼んでって言ってるでしょ!」
左の拳を瞬時に繰り出すがそれももう片方の手で受け止められる。
深夜の動体視力は魚眠洞とナナミを遥かに上回る。
「オラッ!」
間髪をいれず右膝をナナミの腹に叩きつける。
うっと嗚咽を漏らしてフローリングに倒れ伏すナナミ。
悪魔のように見下しながらケタケタ笑う深夜。
「お前はインテリアだ。俺はナイフとランプ(*1)。
魚眠洞が生きていくのに必要な部品ではないという事だ。それがリアルだ」
ナナミは苦しそうに咳をした。
魚眠洞は動かない身体で見ていられなくなっていた。
「だろ?魚眠洞。分かってるよな?」
深夜はねっとりした視線を魚眠洞に投げかける。
魚眠洞は少し考えてから答えた。
「ナナミは、パンの代わりになってくれているんだ……」
深夜は噴出した。
「HAHAHA!こんなモノ……霞を食ってるようなもんだ!
既に仙人の境地だな魚眠洞!羨ましいぜ!NEETになっても言い訳して食ってくのか?!」
ナナミが顔をあげる。
その目に意思の灯が再び点った。
「違う……魚眠洞が食べるのは……食べて命を繋いでいるのは……
そこにあるシチューだよ。私は……それを食べる手伝いをする。
その為に生まれてきて……そしてその為に此処に居る……」
力強い口調で言い切った。
深夜は鼻で笑う。
「介護士かよ。今は職には困らんらしいぞ、あーん?」
パシンと高音が響く。
一瞬で立ち上がったナナミが右で思いっきりビンタしたのだ。
尻餅をつく深夜。
息を荒げるナナミが仁王立ちする。
「アンタの存在を否定する気はない。アンタだって私が大好きな魚眠洞の一部だ。
いつかアンタだって魚眠洞の役に立つ日が来るかもしれない。だから生かすし、
私にアンタは殺せない。私の存在に較べて、アンタの存在のしぶとさときたら!
私よりずっとずっと昔から、魚眠洞の中にいるんだ。きっとアンタの言ってる事も
合ってるんだろうね。君はナイフでランプだ。魚眠洞を傷つける可能性をも
秘めた魚眠洞の唯一の武器。それは知ってる……知ってるんだよ……」
ナナミは両の目でポロポロと泣き出した。
自分の存在のいい加減さが哀しいのだ。
魚眠洞ですらそう理解する。
深夜は不適にニヤリと笑って、起き上がり、埃を払った。
真っ直ぐ泣いているナナミを見据えたあと、踵を返す。
「魚眠洞。動けなくて暇だろう。俺が動き回って、オモシレー話しいれてきて、
話して聞かせてやるよ。待ってな」
後ろを向いたまま言った。
どんな表情なのか分からない。
「お願いするよ」
ナナミが小さく呟いた。
深夜が首だけ振り向く。
「俺に指図すんなよ。蛆虫。糞アマ。魚眠洞を駄目にする根源がよ」
悪態をついた。
ナナミがひっくとしゃくりあげた。
深夜は魚眠洞に対してニッと口角を上げた後、周囲の景色に一瞬で溶けてしまった。
深夜は魚眠洞にとって消そうとして消せる存在ではない。
ナナミはストンと足の力を抜いて座り込んだ。
「……うっ……うっ……あぁああぁぁあぁあぁああぁあぁぁぁぁぁああん!!!」
大声で天を仰いで泣き始めた。
涙がとめどなくフローリングを打ちつける。
魚眠洞はどうする事もできなくてただ眺めていた。
ナナミは深夜の言葉で深く傷ついたのだろう。無理もない。
魚眠洞は安い慰めの言葉もかけられない。
何故なら、深夜の言葉とは、実は全て魚眠洞の言葉なのだから。
溜息をついて、今夜はインフルエンザに罹らないナナミと一緒に寝てやる事にした。
できるのはそれくらいだと、諦めているから。