魚眠洞とナナミ

第6話「魚眠洞とナナミのTOEIC」

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魚眠洞とナナミは11時頃、身支度を整えた。
カフェイン剤をコーラで薄めて飲んだら凄く後悔する。
振り向くとナナミが笑っている。
一度はコースアウトしかけた魚眠洞だったが現実はさらに残酷だった。
日々の積み重ねが死ぬまで続いていくだけだ。
口をキュッと引き締めて、部屋を後にする。
雪が降っていた。この冬では、見るのは初めて。
何故か心があったかくなった。
商科大について係員の指示に従う。
ナナミはいつの間にか魚眠洞の後ろから離れていた。
アンケート的な表面を埋めて、試験開始を待つ。
腕時計の時報がオフにされていない。
操作法を知らないのだ。
気にしない事にする。綱渡りだ。
そして、ついに試験が開始される。
それと同時に入り口が開き、長ランに鉢巻姿のナナミがズカズカ入ってきた。
後ろから、顔の無い大太鼓と小太鼓とシンバルを持った人々がワラワラ湧いてくる。
ナナミは胸いっぱいに息を吸い込む。
ピタッと止まって数瞬が過ぎる。
「かっとばせーッ!ギョッミンドウッ!TOEICた、お、せーッ!オー!」
怒声が響く。
後ろの楽団もナナミの調子に合わせて演奏する。
いつものナナミの妙な踊りが、魚眠洞を安心させた。
馬鹿だなこの娘……ホント……。
目と目が合い、その瞬間、繋がりを確かめ合う。
そう。魚眠洞は「あの時」とは違う。
心と心、心と身体、身体と身体がバラバラだった「あの時」とは。
この空は、魚眠洞が羽ばたく為に用意されているのだ。
魚眠洞自身と、ナナミと、皆と、自分達で用意した空なのだ。
枷の外れたケモノのように咆哮した。
恐れるものは、もう何も無い!
「た・じ・まッ!た・じ・まッ!打ってくれ!田島ァー!」
何故か「おお振り」の田島コールが鳴り響く。
胸がドキドキする。
自分を認められるのは他人じゃない。自分自身なんだ。
魚眠洞は確信する。
そこで気づくとナナミの顔が目の前にあった。
「やっぱカテコールアミン足りてないよ」
リスニングに苦戦している自分がいた。
疑問詞すら聞き取る「気力」のようなものが湧いてこない。
やはり、カテコールアミンなのか……?
「ぐ……畜生!」
「諦めないで……」
慟哭する魚眠洞の唇にナナミの唇がゆっくり触れる。
投げたら終わりだという事を伝えるように……。
投げた後の人生がいかに怠惰で荒廃したものなのか、魚眠洞はちょっぴりだけ体験した。
ナナミと共に潜り抜けた死線。
きっと死ぬまで続いていく死線。
これからもナナミと肩を並べて歩いていく死線。
もう一度、帰って来れると信じている、Mのいる陽のあたる坂道。
もう一度……もう一度……何度だって……帰ってきたかった。還ってきたかった。
Mの視線の先……!
ナナミの額と魚眠洞の額が軽くぶつかる。
能力が無い?カテコールアミンが足りない?セロトニンが足りない?
そんな事、諦める理由にはならないんだ。
両の足が、心臓が、大脳が、呼吸を続ける限り、生きている限り、活きている限り、
この世というステージで、自分の能力を観客に見せつけるんだ。
それが……魚眠洞の見つけた最後の希望……。
「やっぱ朝オナニーが不味かったかねェ……」
頬杖をつくナナミが極めて現実的な意見を言う。
「月姫6巻は魔力が強すぎたねェ……」
そういう事である。大したおっぱいではなかったが。
「アレはおっぱいよりクンニリングスされている時のアルクたんの表情(*1)が抜ける」
「『ふああぁあ』とか言ってたよね。現実にどんな声色なんだろう」
「エロゲとAVを手中に収めていた時がないからわからんね」
「隣の部屋でギシギシアンアン言ってる時の声しか聞いたこと無いよね」
「アレは『へぇ〜、あんな声がするんだ!』って衝撃的だったな」
そんな事を言ってたらリスニングも佳境である。
「うおおお!ありえへんて!授業じゃ二回放送しただろ!」
「これが現実の厳しさだね。また応援しよっか?」
「いや御免。気が散るからいいや」
ナナミが「ガ〜ン」みたいな顔をした。
単語の断片しか聞き取れない。
これがTOEICか!恐ろしや!
英語は不得意じゃないが……本当に300点取れるのか?!
そしてリスニング終了。
目の前のナナミが険しい表情になっている。
魚眠洞の内部でようやく本気の表情があらわれたからだろうか。
いつも遅すぎるんだ。自分は。魚眠洞は思う。
リーディングが始まる。
リスニングと同じでイントロは中学生級だ。
ここで油断するとデストロイだ。
「あー見える見えるラスト全部1つの番号に賭けてる俺の姿が」
「見んで良い見んで良い」
ナナミがきゃらきゃら笑っている。
変わったな、自分も。
魚眠洞は自分で思ってみた。
ここで尿意が押し寄せてくる。
トイレに行くのも一計だ。
「カフェインは利尿作用があるからね」
ナナミの冷静な一言。
もちろん知ってる。そこで選択を迫られる。
挙手すべきかせざるべきか。
だが魚眠洞の中途半端な集中力はこの時、尿意に打ち克った。
それが吉と出たのか凶と出たのか、魚眠洞が知るのは一ヵ月後だ。
そして残り10分を切る試験時間。残った問題30問。
「う!お!お!お!オオオオオオオオオァア!」
「ついにやるんだね!」
恐慌状態に陥った魚眠道はラスト25問を全て「2」にしてしまった。
「今のお気持ちは、どうですか?」
ナナミが魚眠洞にマイクを向ける。
「2はソイフォン2番隊(*2)の2」
何処か吹っ切れた表情の魚眠洞である。
そしてテストは終わった。
風のように自転車で帰る魚眠洞とナナミの頬を冬の心地良い風が掠めた。
何を思ったか古本屋で「クビキリサイクル(*3)」を買い
ショッピングセンターで時計の相談をしマクドでイタリアンチキンフィレオにかぶりついた。
ナナミが目を丸くする。
「すっごい美味しいね!」
魚眠洞もそう思っていた。
久々に頭脳がちょっと疲れているからだろうか。
3月のTOEICも受けようとこの時決心する。
ニコニコ顔のナナミが、いつでも魚眠洞の救いだった。

*1「アルクたんの表情」画像
*2「ソイフォン2番隊」ジャンプ漫画「BLEACH」の砕蜂(ソイフォン)が率いる隊。
*3「クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言遣い」西尾維新の小説作品。

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