魚眠洞がナナミを自転車の後ろに乗せて走っている。
おそろしくノロい。
互いに背中合わせの格好だ。
ナナミはニコニコ顔でフィッシュ&ポテトを食べている。
何処で買ってきたのかは不明。
「お年玉500円分……古本市場ー?完全に企業に支配されてるよね魚眠洞」
「ええい、俺はイラストの資料が必要なのだ。姐さんの資料がな」
「そんな事してる場合だっけ」
明後日はTOEICなのに魚眠洞の堕落は留まる所を知らない。
人間は堕落しようと思えばいくらでも堕落できるのだ。
力を手に入れた代わりに「生きようとする力」みたいなものが薄くなっているのだろう。
「魚眠洞さー。彼女ができたら何処にデートに行くの?」
「古市!」
「……古市の社員さんが聞いたら喜びそうだね」
「学んでいこう。そういう事を。興味の幅を、広げよう」
「あーお腹すいた。総理大臣ラーメン食べていかない?」
「うむ」
自転車を止めて総理大臣ラーメンの店に入っていく。
ラーメンの説明が読める場所に陣取る。
昔から食うのと情報の摂取は同時が良いと思っている魚眠洞である。
向かいにナナミが座る。
店内にはもう一人若いサラリーマンが漫画を読みながらラーメンを食べていた。
仕事できなさそうだな、と思う。
劇画調の漫画を読んでいるようだ。
店員が注文を取りに来る。
「塩ラーメン大盛」
「豚骨ラーメン少ない方で」
ナナミも形だけ注文する。
「なあナナミ。1億両ラーメンの方が美味いと思わん?」
「んー。なんか後味がスッキリしてるよね」
「やっぱラーメンも人間も後味と総合評価だよな。突出した技も邪魔になる事がある」
「それに変なプライド持っちゃったりしたら最悪だね」
ナナミの言葉が魚眠洞の心を抉る。
プライドとか捨てたらまた、良い事あるのだろうか。
ラーメンが届いて魚眠洞はガツガツと、ナナミはしずしずと食べ始めた。
「彼女と一緒に食事するんならそんな豪快に食べられなくなるんだろうね」
「食事という行為自体が幻滅を伴うものだからな」
「麺をブチブチ噛み切るのはご法度だって」
「因果よのう」
魚眠洞はしみじみと感じ入った。
しかし恋愛をたくさんした人間がコミュ力に特化しているというのは当たり前の話だ。
自分達は圧倒的に負けているんだ。今はまだ。そう思うのが正しい。
ナナミと魚眠洞の歩みは同ペースである。
互いが参考にしあう機能には乏しい。
現実の女となら、「切磋琢磨」というものができるのだ。
30年前に言われるようになった「高めあい結婚」?
今ではそれが普通なのだろうか。
自分達が求めているものは本当にそんなものなのだろうか。
「ただ萌える」だけでは駄目なのか……。
貝にはなりたくないが、ただの動物になってしまいたい。
魚眠洞はたまにそう思うことがある。
「ご馳走様でした」
ナナミが目を瞑って手を合わせる。
魚眠洞の丼も空になり、底には「ありがとうございました」の文字が書かれてある。
自分の苦手な感情表現だ。魚眠洞は思う。
腹も満ちたので目と鼻の先にある古市に向かう。
目当ては「ハツカネズミの時間」である。
3巻を奪取し、せっかくなので幻冬舎の「幻影博覧会(*1)」を買おうかと思う。
幻冬舎の背帯を探すが何故か無い。
「無いね」
「ね」
2人で困惑の表情を作る。
位置は記憶していた筈なのだが。
ふと「月姫(*2)」の背表紙が目にとまり読んでみる。
「あァ、オタクが読むものだよソレ」
「この前、『空の境界(*3)』買ったから良いじゃねーか」
「いやソレなんか変だし」
無視して読み進める魚眠洞。
……意外に面白かった。ハートフルなストーリー展開。
なんか「羊のうた(*4)」っぽいと思ったが、まァ、パクリなのであろう。
「私よりずっと可愛いよねアルクェイド(*5)は」
「この眼鏡の奴は俺よりヘタレなんだと思ってたよ表紙見てた時」
2人とも顔がニヤニヤしている。
しかし、それだけでかなり満足してしまったので、棚に戻した。
そして移動された先で幻冬舎の漫画の群を見つける。
「幻影博覧会」奪取。
カードのポイントを使って2冊で無料だった。
帰りの2人乗りは同じ方向を向いたものだった。
「ねッねッ。魚眠洞。幸せだよね。うちら」
「そうさなー。やっとこ人生の夏休みって感じがしてきたなー」
「残り少ない夏の日を〜入道雲がサヨナラの〜合図〜♪(*6)」
「こうこれからは、一人ではいれないんだ」
「二人では、かもね?」
ナナミの声が、魚眠洞の心臓に幽かに響いた。