魚眠洞とナナミ

第4話「魚眠洞とナナミの自己啓発」

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「ただいまー」
「おかえりー」
魚眠洞が夕食を済ませて魚眠洞宅に帰ってきた。ナナミが出迎える。
「今頃世界の〜どっかで爆弾が〜降り注いでるけ〜ど僕は知らないよ〜♪」
ナナミがダンスつきで踊りだす。
「あっ中東なんかあったのか?」
「レバノンからミサイルが飛んできたって」
「……まぁ来ないだろうな」
「儲からないもんね戦争」
ナナミが花が咲くような笑顔を見せる。
「俺も儲からない事は控えないとな」
「……ってまた本買ってるゥ〜!」
ナナミが魚眠洞の持つ女物のバッグからはみ出た袋を指差す。
どうも魚眠洞は初めから隠す気が無いようだ。
「見せてみな!……あー?『脳にいいことだけをやりなさい!(*1)』?」
銀色の表紙の単行本である。
「なっ!俺、九州工業大学だし……」
「これ、自己啓発本でしょ?」
ナナミは一瞬で看破した。
「専門書はもっと見た目もインテリジェンスだよ」
「でも茂木さんが絶賛してて……」
「あの人はペテン。詐欺師。私には分かる」
魚眠洞は「そうだよな〜」と思った。
「あ〜!金欠!でもマンキン完全版の大人ホロホロが載ってる巻は買わなかったんだ?」
「あーアレは裏技でなんとか」
「裏技ね。あーハイハイ」
詳細は省く。
「我慢を覚えたんだね」
「断定すんなよ。それくらい皆デフォでできる」
「最近の魚眠洞の買い物は3歳児みたいだったよォ〜?」
魚眠洞は言葉も無い。
幼児退行は全体的に進むものではない。
局所的に進行して気づいた時にはNEETである。
「アババ★アババ★アババ★踊る赤ちゃん人間ッ★とうっ!(*2)」
ナナミはそう歌って笑いながらベッドに勢いをつけて寝転んだ。
魚眠洞はとりあえずパソコンを開ける。
それと同時に存在感が電子化され淡く光る箱庭の中だけの存在になった。
「相変わらず現代病やってんだね。私の立場は?まあ私だって現代病だけどね」
ナナミが後ろで首を振っている。
魚眠洞は無視して中東情勢の情報を集めた。
ナナミは半泣きになりながら「ハツカネズミの時間(*3)」を読む作業に移ったようだ。
そう。こうすれば能率は2倍。我らパートナーシップの最大の武器である。
だが実際にそんな事ができるはずもなくて絵に描いた餅である。現実ではない。
「起こらないっぽいね。第三次世界大戦」
「さっきも言ってたよそういう主旨」
ナナミは腰を回す運動を始めていた。
疲れが溜まっているのだろうか。
「ナナミ。脳の感じる幸福感と社会的最高は関係ないらしいぞ。マクドで読んだ」
「……でもSEXしたら幸福でしょ?」
「オナニーばっかしてたら自信を失うってホントかな?」
「まぁそっちの方が生物として正しいよね」
ナナミは疲れたらしくタオルで顔の汗を拭いている。
どうも劣情を誘うかんじだ。
「魚眠洞もまず脳に良い事だけをやらないと」
「どうもカテコールアミン(*4)が不足してるらしい。動きが鈍いもん」
「サプリメントなんて買った事ないよね。私が買ってこようか?」
「……いや、二人で買いに行こう」
ナナミはパッと明るい顔をする。
「ねッねッ!それを摂取してたら色んな勉強できるよね!」
「そうだなァ。試してみる価値をありそうだ。なんか楽しくなってきたな」
「まあ自己啓発書書くような人間の屑の言う事だけどね!」
「俺の方が屑だろ常識的に考えて」
ナナミは首を斜めにする。
まあ、こういう時は「そんな事ないよ」と顔で表すようにプログラムされているのだ。
「あと新鮮な物を食えって」
「生協の大量生産の油じゃ駄目なんだね」
それを言ってしまったら我らの食生活はどん底ではないか。
「まぁ、この年になってあんま抽象的な事言われても困るよな」
「それで救われる馬鹿もいっぱいいるんだよ世の中」
「俺も含めてな」
アハハ!
2人で笑いあった。
「こんな物に必死に縋った季節もあったか」
「必死な時の自分を責めるのもなんか違うよね」
ヤマナシオチナシ。
魚眠洞とナナミの日常も、人間の日常も、それが正常な状態である。

*1「脳にいいことだけをやりなさい!」ポジティブシンキングの為の自己啓発本。
*2「踊る赤ちゃん人間」筋肉少女帯のシングル曲。
*3「ハツカネズミの時間」冬目景の漫画作品。
*4「カテコールアミン」交換神経に作用するホルモンの一種。

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