農ネーム 最終話「世界と君との戦いでは」

 森野が皆川を連れて現れた時はもう皆川が死んでから半年が経った時だった。法人の農場で雲林院がガクガクと震えだした。
「先輩ー!」
 一気に駆け寄って抱きついた。
「コラコラ」
 森野が親友の痴態に呆れ顔を作る。皆川は微かに笑って満足げだ。
 平坂は農具を置いておいてはにかんで見せた。仕事は終わったかもしれないが、仄かな満足感が胸に残った。
「先輩……俺は先輩を目標にして今まで……これからだって……! 自殺なんて……!」
 雲林院はポロポロ泣いている。
「有難うね。皆が居たから戻ってくれた」
 皆川がゆっくりした動作で雲林院の頭を撫でる。森野と平坂にはその光景が格調高い宗教画か何かのように見えた。
「まぶしィ……K大生とかそんなの超越したオーラを感じる……やって良かった……」
 平坂の感想。
「オッス!」
 声と共に4人の真ん中にカフカが突如として現れる。この人だけは何処も変わらない。憑き物の付いてない笑顔で森野と平坂を見比べた。
「有難うな。本当に助かった。俺もこれからちったーマシに生きれると思う」
「知らねーよ。そんな事」
 森野がしらけた反応を返す。風が吹きぬけ黄金色の稲穂の波を作る。
 別に死んでしまったままでも良かった。
 でも生きてても良かった。

「2年間付き合ったけど、全然変わらないね。油川さん」
「ええ、もうそりゃ私なんて……ははは……」
 落世中学の音楽室の隣の準備室で皆川と氷魚が喋っている。今日の合奏でも氷魚は先生に局所的に怒られていた。やっぱアレだ。性格に問題があるのだ。
「ちす」
 雲林院と風見がチューバを持って入ってくる。その後ろから由良と千本木がコントラバスを持って……。
「あ、油川! 期末合計何点だった!? 俺478点!」
 雲林院がニシシッと笑う。
「もう積極的に無視するからね雲林院君。君の人間力は23点くらいだよ。5教科で」
 皆川が悪ぶって言う。
「全くだ。お前だけはいつまで経っても認める気ねーからな」
 風見がクロスを取り出しながら言う。
「勝った勝った! 私481点! スッゴイ! 初めてかも!」
 由良が嬌声をあげる。
「うるせーぞ! 楽器片付ける時はしゃべんな!」
 部屋の外から気流院先生の怒鳴り声が聞こえる。
「すいませーん! ……トーン下げて皆……」
 皆川が唇に人差し指を持っていく。雲林院がその動作に反応したのが氷魚にも伝わってきた。
「雲林院君さー。もっとバランス感覚磨かないと人の世で認められないよ」
 皆川が小声で言いながらコツンと自分の頭を小突く。
「耳が痛いだけで聞く気になりません……」
 雲林院は正直に答えた。
「君は何が欲しいの? 学力?その先の富? 名声?」
「『名前』……かもしれませんね……。人が死んでも残る物は名前だけだ。
 人は自分の名前の為に生きてる。そう教えられました」
 風見がケッと馬鹿にした風に笑う。
「駄目だよぉ。若いんだから年寄りの格言みたいなもんに惑わされちゃ。実感が無いと。自分の唯一無二の実感を追いかけながら生きていきなヨ。
 身体を伴わない言葉はさ、嘘だよ。空っぽの抜け殻だ」
 雲林院はう〜んと唸ってしまう。
「じゃ先輩は何が欲しいんスか?」
「愛とか……」
 千本木がボソリと呟いた。氷魚以外の5人で声を押し殺して爆笑した。
「茶化すなよ〜。うちの雲林院は真面目なんだから!」
 風見が声を低くして突っ込む。
「愛って良いもんだよ?」
 千本木は譲らない。中学生の恋愛などたかが知れていると雲林院は思った。
「世界と君との戦いでは世界に味方せよ」
 皆川が人差し指を突き上げて言う。その目がランランと輝く。
「何だよソレ」
 風見がボリボリと頭を掻く。
「私が考えたの! 良い言葉じゃない?」
「『屁のツッパリはいらんですよ』みたいなもんか」
 風見に空笑いされた。
「そうだよね。企業に合わさないと、ありのままの自分じゃ会社は採ってくれないんだよ。
 知ってる? 高校や大学はもっと無機的だと思うけどさ」
 千本木が言う。
「そういう事だよ! 雲林院君!」
 してやったりな顔の皆川である。
「今日は皆川様の有難い話が聞けたな! 雲林院!」
 そう言いながら風見は雲林院の頭をグシャグシャ撫でる。
「あ……知ってる……ユダヤ人の作家の言葉……」
 氷魚がふいに声をあげる。
「あっちゃ★バレたか! あはっ★」
 皆川が破顔する。
「んだよ! 俺も騙されたぞ! 良いか雲林院! これはこの世の暗黒面だ! 先輩なんて偉そうな事言っても所詮この程度! 肝に銘じて覚えとけよ!
 先輩なんて頼りにしてねーで早く自立しろ! どーせ大した事ねーし頼りにならんのだからな! ガハハ!」
 風見が雲林院の背中をバシバシ叩く。しごく楽しそうだ。
「私も実は知ってた。
 死ぬまで作品発表しないでかつ友達に燃やしてくれって頼んでた人だよね。
 無理やり話を繋げるなら名前に拘らなかった人だ」
 千本木がコントラバスを丹念に拭きながら言う。
「世の中色んな人がいますね」
 由良がうんうんと頷く。
「でっしょォ!? 格好良いよね……! あん、えーっと、誰だっけ?」
「うっわホントに覚えてねーよ。名前」
「漫才やってんじゃないっスよ」
 皆川のボケに風見と雲林院で突っ込む。
「とにかく! 名前なんかの為に生きるのは不合理よ! だって……死んだらソコには私等はいないのよ!」
「まァ先輩はソレで良いですけど俺に文句言わないでくださいよ。人はそれぞれなんですから。
 人生なんて所詮『死ぬまでの暇つぶし』って点でみんな平等なんだ。名をあげる事を目標に掲げてエンジョイする奴はいっぱいいる。
 俺もその中の一人。一欠けらのワンピースだ」
 雲林院はどうも譲ろうとしない。尊敬する人の言葉を鵜呑みにしているらしい。憑き物に憑かれている状態と言えるかもしれない。
「うるせーなお前ら。人生の目標なんて自分のチンコに聞くのが一番早いって早く気づけよ若造。大人になれよ」
「お下劣」
 風見の言に千本木が突っ込む。
「答えが無い事が答え。だって私達が生きてるのは偶然だもの……」
 氷魚が幽かに呟いた。

 そして雲林院達は復学して皆川は屋久島で働き始めた。流石の高スペックを誇る皆川は研究開発事務全般を既にいっちょ前にこなしているようだ。
 やがて季節は巡り、雲林院一派3年生の秋となった。
 カフカと皆川は鏡都に遊びに来た。哲学の道を歩いている。カフカの漂わせる紫煙がゆっくり通り過ぎる。変に意識しない程度にゆっくりした歩調で歩く。
「天秤ってあるだろ。どっちかに傾いたまんまじゃ機能しない」
カフカが口を開く。
「バランスは大事だね」
「名前に執着する気持ちは人間の機能だ。
 人間が進化したらその機能もきっとより高次なモノになる」
「人間の事どう思ってる?」
「好きだよ」
 軽く言い切った。本心に違いない。
「好きでも嫌いでもないって言うかと思った」
「右に行ったり左に行ったりしながら進んでいけば良いじゃないか。
 幻想くらい持っても良い。それが人間だから。でも色んなモノ見失っちゃ駄目だ」
 皆川はうふふと笑う。
「皆川。気持ち良さを求めて生きていけば良いけどそればっかじゃケモノだぜ。
 お前は誇り高い人間だろ? 良いぜ。『皆川農法』を開発したいとか言い出しても。
 俺は、もっと柔軟に生きられる自信はあるし、お前が好きだから。これからも」
 カフカはカッカと笑った。
「大樹は折れて、また新しい芽吹きが……。そういうのも納得のいくストーリーだ。
 全然純文学じゃないぜ。これはさ、最初から最後までノンフィクション。
 でもってノンフィクションなんて幻想だぜ」
「私はカフカが一緒に歩いてくれるんならソレで良いよ」
 カフカはピンと煙草を捨てた。
「そんなの簡単だ。お前はシッカリしてるし、俺は食わなくても生きていけるんだからな」
「NEET冥利に尽きるね」
「でもお前は現世に食わせていくんだからな」
 馬鹿らしい会話である。カフカは皆川の事を認めてくれたが……。それ以上の何かがあったわけではない。皆川が死んだら悲しむ連中が居た事が確認できたくらいか。
「刀を置こうか。カフカ君」
「すぐ取れる位置に置いとけよ」
 アハハ! 二人で秋空に向けて笑った。
 NEET心と秋の空は変わりやすい。
 悪くない……。そんな想いが皆川の心を支配する。
 カフカが人間の事を好きになってくれただけで満足なのだ。

終わり