農ネーム 第十四話「4本目の世界樹」

 カフカが世界樹三本が作った三角地帯の真ん中で精神を集中させている。両の掌を大地に向けて、目を瞑る。氷魚達が固唾を飲んで見守る。
 カフカが中間界のさらに深奥、無境界に送ったのは「念波体」と呼ばれる自分のクローン。姿形は寸分本物と違わないし思考は本体と連動している。長時間入っていると脳に異常をきたす中間界にも脳を外部に置いて念波体を潜入させればずっと長時間の冒険が可能となる。
 カフカはこの技を地獄唯一の大学、地獄大学校の念波体研究室で究めた。中間界の研究をしている研究室はほぼ全ていわゆるオナニート研究室だが、その中でも念波体の研究室は一際オナニートだった。
 しかし真面目に学問に身を投じたカフカの業はこうして活かされる事となったのだ。皆川のサルベージを本当に遂行できるのは本気で世界でカフカだけ、という状況になっていた。
「私もゲルニカさんもちょっとはできるよ。念波体。でも彼のは格がちげェーの」
 氷魚が誰にともなく呟いた。
 地獄の中の地獄がカフカの意志力を吸い取る。想像絶する集中の中でカフカは念じる。
「俺がお前を必要としてるって言っても、お前は帰ってきてくれないのか?」
 大地の底から答えが帰ってくる。
「だって貴方の為に生きてたんじゃないもの。私は私の為に生きてたんだ」
 再度、意志力を使う。
「よせよ。二人なら生きていけるって思っただろ?
 人は一人では生きていけないバグった生き物だ。そうだろ?」
「そうだね。でもバグなんて言い方、やめてよ。『欠けてる部分』だよ」
「ん……面白いよな……。俺ももうステータスの優劣なんて考えたくないんだ」
「溶け合って生きていく。ストレンジャー達は生ゴミみたい」
「動いている限り、生き腐らない」
「失敗したら、やり直せば良い」
 しゃがみこんだカフカは右手を大地に向けて突き出す。確かな生命力が近づいてくる。
「もう一度、此処から始めれば良いのだから……」
「君がそれで良いんならさァ……私はもう一度始めてみたいよ。君と一緒に」
 大地が振動を始める。それはだんだん大きくなっていく。来る!
 カフカの前方で轟音が轟き、大地が隆起する。爆発音と共に巨大な影が地中から立ち上がり、天を目指す。
 強大なる生命力を湛えたそれは、上へ、上へ、地獄の中の地獄の天井を目指す。爆発した大地の欠片が氷魚達の所にまで降り注いだ。
「掘り起こしたぜ……」
 カフカは右手を突き出したまま恍惚の表情を浮かべる。
 樹だ。とびきり巨大な。樹高約40メートル。がっしりと力強いフォルム。文句無しの陰性の広葉樹。葉を思いきり伸ばした枝いっぱいに茂らせて悠々たる姿をカフカの目の前一杯に広げた。こうして見ている間にも枝は有機的に伸長し、ついにはゴツゴツした青い実を実らせた。
 あまりの事に一同が呆然とする中、メテオラが呟いた。
「役者は揃ったな……。コイツは優秀な『生命の樹』だ」
 氷魚がハッとして振り返る。
「雲林院君の世界樹は『知恵の樹』! 森野君の世界樹は『意思の樹』!
 火取君の世界樹は『情念の樹』! そして皆川先輩の世界樹は……『生命の樹』……!?」
 ソードが渋い顔を作る。
「記録に残ってるのは『意思の樹』以外の3本ですね。
 確かにこれで世界全体を成長させる為の土壌はできたって事なのかもしれませんね」
「今と昔は違う。世界の年齢がな。『意思の樹』も必要不可欠だよ。
 まァ、他にも必要があるかもしれんが。今回は」
 メテオラは言って首を振る。
「綺麗だなー。なんか光ってるぞ。ティンクルと」
 風見が呟く。確かに樹の周りから輝く粒子が無数に放出されている。生まれてきて良かった、と言っているかのようだった。
 気づくと他の三本の世界樹から各パートに分かれて交響曲が発せられていた。
 ハーッレッルッヤ! ハーッレッルッヤ! ハレルッヤッ! ハレルッヤッ! ハレェールヤァー!
 「メサイア」である。今は亡きメサイアである。三本で新たな樹の受胎を祝福するように、ゾッとするほど美しい旋律が奏でられた。
「そんなにー嬉しいのかよー! 雲林院君! 森野君! 火取君!」
 氷魚が前方に飛び出して小躍りしだした。
「君らが嬉しいんなら私まで嬉しいよォー! ヒューヒュー!」
 カフカはそれを横目で見ながら柔和に笑う。俺は幸せ者だ。お前も幸せ者だ。唯。そう思った。
 ボコ。
 柔らかい土が動く音共に、カフカの右手を地中から現れた人間の手が掴んだ。
「お」
 若干の間。温かい手だった。そんな事、普段は意識しない。  グイッとひっぱると地中から人の上半身が出てきた。土に塗れたソイツは、皆川だった。目をパチクリして、カフカを見ている。
「おはよ。カフカ」
 こともなげにそう言った。氷魚が物凄い衝撃を受けている。
「皆川先輩が栄養生殖でリバースしたー! 再誕だよォ! 再誕!」
 ピョンピョン飛び跳ねた。カフカはサルベージの成功に感激して呆然としている。だが思わずして言葉が口をつく。
「唯……今日は随分……綺麗だな……」
 皆川はクスリと笑う。
「有難う、カフカ」
 とびきり愛らしく笑ってそう言った。
 それと同時に生命の樹の頂点の発射口のような構造から光の束が高い音を立てて天へ射出される。力強い光の束はどんどん天へ打ち上げられていく。そして花火のように多色を放ち無数の軌跡を残して全方向に散っていった。
「七色だ……綺麗……」
 イリスが風見に体を預ける。イリスの翼の色だ。
「アレは何だ?」
 風見が意に介さずソードに聞く。
「植物の種だよ。つっても『生命の樹の』じゃない。
 この地獄の中の地獄の地中深くに眠る太古の遺伝資源を根から吸収した生命の樹が、樹内で遺伝子を環境に適応した風に組み換えを行った後、種まで育てて頂点の射出部から超広範囲に分散。つまり過去の再現みたいなもん。いや、もっとポジティブだけどね。世界の成長ってのはそんなもんだ。
 だってさ。樹が4本あった所で俺らがいなけりゃ生きられないじゃん。自分達が生き残る為に遺伝資源をサルベージしてんの。昔のをね。生命の樹は昔を思い出して、再現してんのさ」
「言い方が多少不味いが、論文を読んでる事は認める」
 メテオラが言った。
「凄いね! 生命の樹が母体となって無茶苦茶植生が回復するじゃん!
 此処に人が住めるようになるかも! 地獄は本当に地獄じゃなくなるんだヨ!」
「うーん。此処の土壌は植物にはまだまだ適さんよなァ。
 俺がなんとかせんといかんのだけど、保水力とか増大させて、養分もさァ。それと絶対的に水が不足してるし。灌漑設備をいるいなァ。大規模なやつね。じゃないとこんな優秀な世界樹があっても意味無いわ」
 ソードが顎に手を持っていって考え込む。
「ちょりーす! そっち方面の有益な情報なら当方が所持していますよ!」
 いきなり今までいなかった男の声が後ろからする。皆で振り返ると黒髪黒スーツの音楽機器を抱えた男が立っていた。
「あっムジカ! 何しに着たのさ!」
 氷魚が声をあげる。
「よう氷魚。そして皆さん。私は地獄最大手の製薬・化学企業の『ブラック・アース』のバイオ部の営業やってます。ムジカと申します。
 今日は地獄改善計画に尽力される皆様に画期的新商品の情報を提供しにやって参りました」
 物凄い営業スマイルでムジカが喋る。知り合いらしい氷魚は呆れ顔だ。人脈の幅の広い女だ。
「助かるよ! 俺、所詮、病理屋だし若いしさー! 化学屋さんの力を借りたかった! やっぱ世界樹だけ診ててもはじまんねーよ!」
 ソードはしごく嬉しそうだ。
「そっスね。今の時代は病理とか全然リアルじゃないっスからね。
 貴方もイルでハーコーな化学業界にダイブするべきですよ」
 ムジカがそう言うとソードはとたんにムッとする。
「オメェ病理を馬鹿にすんな! どんだけ伝統的実学だと思ってんだよ!」
「ディスってませんよ。伝統的オナニートなんですよねッ!」
 喧嘩を売るのが好きな人格だと推測される。
「で話聞こうか。ムジカっち。何よ」
 氷魚が話を戻してくれた。
「これっ!」
 ムジカが掌を突き出すとその上に白い樹脂状の物体が数個あった。
「納豆の菌糸にガンマ線を照射する事で得られるコレは納豆樹脂! 1グラムで5リットル保水できるんです!  これを地獄の中の地獄中にばら撒けば大地の保水力が大幅にアップして計画がむっちゃ進む事請け合いですよ!」
ニッカニカ笑うムジカが必死すぎる。
「当社ではコレをタピオカから作っております。大量生産も今すぐにでも可能かと! 資金さえあればね!」
「なんだ農学の仕事じゃねーか」
 ソードが茶々を入れる。
「良いねソレ」
 氷魚が身を乗り出す。
「よく分からんが聞いた限りじゃ良さそうだな」
 風見もうんうんと頷く。
「その他にも納豆菌の出す酸を水質の浄化に使えます! ヘドロを極めて優秀な有機資源に変える事も可能です。それによって土壌も改善されますからもう最高でしょ!
 これから大量の水を管理する事になるでしょうから、この地獄の中の地獄の開発には不可欠な商品かと存じ奉り……!」
 風見がほほーっと感心する。  
「あー水の件なんだけ私にあてがあるんだわ」
 氷魚が手を上げる。
「魔界のレッドラムの優秀な人はバックアップがとってあるでしょ? ほら新技術のさ。記憶も年齢も死んだ時のまま魔界の研究所にクローンが作ってあるの。念波体の技術を応用したさ……。
 あの中に水を操るビョウドウイン・ミナセ君ってのがいてさ……大量の水の持ち運びも自由自在なんだヨ。彼に『水の管理官』を頼もうかと思ってるの」
 また風見がほほーっという顔をしている。
「スゲェな本当お前の人脈。バックアップだ? なんでもアリだな。まぁ他にも色々スゲエ事あるけどさ」
 ソードは一人懐疑的だ。
「魔界のレッドラム? そんな危険な奴にそんな重要な仕事を回すのか? 狂気の沙汰だぜ」
「大丈夫。品質は保証するよ。ミナセ君は良い人だヨ」
 きゃらきゃら笑う氷魚にソードは毒気を抜かれた。
「なんならバイオレメディエーションも当社が引き受けますよ。微生物で鬱毒を大地から抜かんとどうにもならんでしょう」
 ムジカがさらに言った。
「うぅ……図星だなぁ。分かりました。頼みますよ。
 そんじょそこらの微生物と技術じゃどうにもならんと思いますよ。伊達に此処まで鬱毒で荒廃したわけじゃないんだ。この大地も。
 先代も先々代もずっと苦労して……世界樹すら生えなくて……世界は自信を無くしていた。そう。本当の根本は自信なんだ」
 ソードは苦い顔をして言った。
「なに? 曖昧なリアルじゃない事言ってますね。やっぱリアルはブラック・アースだけですね。世の常識だYO!」
 ムジカがカラカラ笑った。
「もし本当に地獄の中の地獄が開発されたら地獄にもその影響は行く。他の企業が力をつけて競争が激化すると思うよ。それが世界の成長。また戦える姿になるという事」
 氷魚が面倒くさそうに言った。
 気づくとカフカと皆川が笑いながら話し込んでいる。内容を聞くのは野暮な気がした。二人とも凄く楽しそう。皆川は再誕、リバースしたのだ。
 アハハ! 皆川の可愛らしい笑い声が空に溶けた。
「さぁ。あとしおまつだねェ。皆」
 氷魚が号令した。「オッス!」とか言ってソードが気合を入れる。
 ふと空を見上げると、真っ青だった。そんなのは初めてだった。
「やっと仕事が始まったんだ」
 氷魚は皆に聞こえないように呟いた。