農ネーム 第7話「始まりの場所と約束の場所」

 う〜ん……。う〜ん……。

「はっ!」
 皆川唯は再度覚醒した。
 ああ、もう朝か……。夏休みだよね……もう一眠りしようか……。

 ……。

 ……ってっ違ッ! 自殺したんだよ! 私!
 ホームセンターで買ってきたサンポールとムトウハップで……! こう……クイッと……ノックダウンされて……!
 だって……死ななきゃ我執から逃げられなかったじゃないか! 私は「病気」を治しただけだ……! 「生きてる」っていう最強の病気を……!
 ……それは良い……それは良いんだけど……なんで意識がある……?
 此処は何処だ……? 目の前が……何処までも白い……。
 なんだ……本当に目覚めたわけじゃなくて私は私の頭の中で目覚めたのか……。
 手足の感覚が……ある……。瞼だってある……。「生きる苦しみ」は……まだ続いてる……。涙がジワッと溢れ出してくる。
 悔しいッ!
 私は死の間際にもまだカフカに執着していた! 情を残していた! 私の今まで築き上げてきたプライドを根こそぎ踏みにじってくれたあの男に!
 馬鹿になんかできない! 無執の人である事は誰よりも自由な事だから! 人間の完成型だとすら思う! 逆立ちしたって勝てないから……私はあの男を否定してこの世を去る事にした……。一矢報いるってヤツだ……。そんなの痩せっぽっちだって分かってた! 無意味だって分かってた!でもそうするしかなかった! 私が一番大事にしてたのは私のプライドだったから!
 この世に傷跡を残す事を至上の目的として生きてきた! それが叶わなかったから……それを否定されたから……!
「うぐぅ〜……」
 押し殺した感情がとめどなく溢れてくる。やっぱり悔しいよ! 私はセカイに! カフカに! 大敗を喫したんだ!
「カフカの馬鹿ァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」
 勢いをつけて起き上がりつつ叫んだ。何故か言葉の残響が残る。
「えぐっ……えぐっ……うぐぅ……」
 涙をこする手はある。着てる物もお風呂に入った時と同じ。
 感情が爆発しながらも皆川の冷静な部分は考えた。此処は何処だ? 自殺に失敗したのか?
 妙な場所だ……。上も下も右も左も何の境界もなく真っ白だ。 地面すら無い。やはりリアルな精神世界みたいな物なのだろうか。今、生死の境?

「いえいえ!先輩は自殺に成功されましたよ★もちのロンです」

 いきなり後ろから声がしてビクッとする。急いで振り向くと其処には懐かしい顔が……。
「ヒ……オ……? 氷魚……?」
 黒いスーツに身を包んだ油川氷魚だった。顔の横で両手を広げてニコニコ笑っている。
「お久しぶりです★先輩!」
「はは……は……」
 無理に笑おうとする。だが無理だった。氷魚の笑顔が不条理な感じに眩しい。
「此処は現世じゃないですよ。地獄と天国の境目の裏側にある中間界! 行き場を無くした魂の彷徨う場所! 先輩は生き返れるかもしれないから此処にちょっとの間居てもらう事にしました!」
 パッと笑う氷魚。皆川は状況が読み取れないがある一つの事を思い出した。
「そうだ君、地獄の門番になったって……」
「ええっ! 支配層に近づく為日々精進です★」
 ……えーと……。とりあえず自分が死んでしまった事は理解できた。
 なんて言った? 生き返らせる? なんでそんな事……。
 ふと氷魚の肩に目をやる。
「髪伸びた? 君」
「えへへ……私人気キャラだから★たまにイメチェンして……」
 何を言ってるんだこの娘は。だいぶ中学の頃と雰囲気が違う。
「おう皆川! お前も苦労してんな!」
 いきなり氷魚の後ろから青年が現れた。ってゆーか……。
「風見君!?」
 中学の頃の相方の風見だった。そして風見の反対方向から修道服の女が出てくる。こっちは知らない人。紫髪の美人。カフカと似たオーラ。直感で人間でないと確信する。
「あっコイツはイリス。別にお前に用じゃないんだけどな。俺の彼j……グハッ!」
 イリスと呼ばれた女が風見の腹に正確に肘鉄を叩きいれた。
「失礼失礼。コイツは酷いツンデr……ガフッ!」
風見は今度は後頭部に空手チョップを喰らった。 風見は頭をさすりながら罰の悪そうな顔をする。
「スマンスマン。まアレだ。俺が各界を自由に移動できるようにサポートしてくれる天国の門番様なんだ。まあ俺嘘ついてないけd……グボアッ!」
 腹に回し蹴りを喰らいながら風見が説明してくれた。客観的に見てツンデレにしか見えないと皆川も思った。
 皆川は夫婦漫才を見てようやく落ち着いてきていつもの思考力を取り戻しつつあった。聞きたい事はあったけど……それよりも……。
「なんだ……皆死んでも元気でやってんだ……。安心しちゃったよ。皆川さんとしては」
 ニコッと笑った。
「あ……そうそう由良も元気にやってるぜ! アイツ連れてくるとイリスが怒るから連れてこなかったけd……ドベエッ!」
 足払いをかけられ盛大に転んだようだ。
 氷魚はまっすぐ皆川の方を見ている。皆川は多少緊張する。
「私達……先輩の事大好きです!」
 ズイッと皆川の方に寄って言い切った。いきなりの事で面食らう。 氷魚の澄んだ瞳が目の前に見える。
「安心しろ皆川。コイツはレズじゃなくて腐女子だから」
 風見が無駄にカミングアウトした。
「現世ではカフカと雲林院君と森野君とそのオマケが先輩の為に戦いを始めました。
 先輩に嫌々現世に戻ってもらうつもりはありません。一緒に生き残る道を考えましょう!」
 氷魚の目が爛々と輝く。皆川の頬が緩む。ああ……この娘も生きる目的を見つけれたんだ……と思った。ほとんどの人は簡単に生きる目的を見つけていくのに……自分だけ行き遅れて……。
「皆川」
 気づくと風見が見下ろしていた。見上げる皆川。
「雲林院も森野もお前が好きだぜ。尊敬してる。『約束の場所』に辿り着いた稀有な人だってな。K大の事だ。中学の頃お前が自分で言ってたの覚えてるか?
 お前はスゲエ奴なんだよ。俺なんか……」
 そこで中日ドラゴンズの帽子をクイッと目深にかぶる。
「笑うかもしんねーけど音楽で身を立てようとした事があるんだ。それはさっさと敗れて地域文化交流センター勤めだ。
 お前は有名無名に拘ってるみたいだけどさ……そんな物にお前の思うような価値が本当にあるんだろうか? お前の目指したK大はそれほど心地良い、悩みの免罪符になっただろうか?
 重要なのは『今』だろ? 自分の考え方だろ? 自殺を否定する気はねーけどお前なら新たな価値体系を作れるんじゃないかって思うわけよ。馬鹿で低学歴で低賃金の俺としては。
 俺は生きてる時も死んだ後も楽しい事一杯だった。お前も少し頭冷やせ。冷やせよな」
 皆川はキョトンとして見上げている。風見は自分でも上手く物が言えていないのを感じているらしい。顔が赤い。
「梟がとまってる電線に〜♪」
 氷魚が唐突にナンバガの曲を歌いだす。
「なんでお前等此処にいる〜♪」
 風見がアハハと軽く笑う。
「よう。死んで自分が客観的に見える筈だぜ。なんで私こんな事思ってんだろ〜? 馬鹿じゃないの〜? って事がいっぱいあると思う。俺もそうだった。雲林院もそうだったみたいだな。
 馬鹿は死ななきゃ直らねーってヤツ、本当にあるんだぜ。もう一回人生やり直してみねーか? その為なら、協力を惜しまない」
 ニヤニヤ笑う。
「私の可愛い平坂火取って子もね、一回此処に来てスッゴク良い子になったんだよ。
 その時の経験を考えて、私は『自殺セラピー』ってのを始めたんです。死んで脳を最初から作り変える。現世の全てのシガラミから開放されて自分を超客観的に吟味する。そして戦略を立てて第二の人生に臨む。カンペキ★パーペキ★パーフェクト★でしょでしょ?
 先輩受講してみません? いや受講させます。決めました」
 氷魚が物凄く楽しそうに言う勢いに飲まれてしまう。本当に変化したなという印象。地獄ってそんなに良い所なのかな?
「あそう。別に天国に来るんでもよくしてやるけどな……アベシッ!」
 得意顔の風見は膝の裏側をイリスに蹴られたようだ。
「まー一回見てきてくださいよー! オープン・ザーワールド!」
 そう言って氷魚が指を鳴らすと目の前に半径10メートルほどの円形の映像が現れた。白に縁取られたその映像は……。
「落世中学……?」
 の上から見た図……。上空からの映像に見える。
「ピンポンピンポーン! さすが愛校心ありますね!」
 釈然としない皆川。今更こんな所に残した思い入れなどない……というのはツンデレか。いっつも言ってたじゃないか。
「私達の『始まりの場所』ですよ。『約束の場所』の住人の先輩。
 きっと何かが見つかりますよ。というわけで……」
 氷魚が話している間にいつのまにか風見が皆川の後ろに回っていた。両肩をグッと掴まれる。
「ひゃうっ!」
 セクハラ!
「グーーーーーーーーッド・ラァックだぜ皆川! まさか俺がコレ言う側になるとはな!」
思いっきり前に押された。
「んなっ!」
 前につんのめりながら皆川は映像に激突した……と思ったら感触が無い。視界が急にカラフルになる。そして三次元に……。
 周囲が急に涼しくなり高い音が響いた。落ちてる! 映像の中に入った! って! 死ぬじゃん!
「グッドラックですよ先輩ー!」
 氷魚の声が遠くで聞こえた。
「うわああああああああああああああああああ!」

 皆川の断末魔の悲鳴が聞こえなくなった頃、イリスの後ろからカフカが突如として現れた。
「始められたみたいだな。よろしく頼むよ。有難う氷魚」
 氷魚が破顔して嫌らしくニヤニヤ笑った。
「私には今のうちに借りを作っときなさいよー。なんたって貴方は未来の私の手駒になるんだからね★」
 ウインクした。カフカは少し後ずさりする。
「本当こえー女。マッチの先っぽくらいしか生きてないくせに」
「モトカノと面と向かって会えないような甲斐性のないマダオとは違います〜★」
 カフカは言葉も無い。
「それより現世のマイ・スウィート達の面倒をみてくださいな。頼んだよ! 手駒A君! いやK君! 私が地獄の支配者になった暁には……」
「だーっ! 分かった分かった! 本当、頭が上がらねーよおおおおおお!」
 カフカは頭をかく。
「良い? カフカ。人間はバグった生き物だって貴方の意見はよく分かる。納得もする。だけどね、私は人間の変な所は『バグ』というより『遊び』だと思うんだわ。むしろ。高級な機械によくあるヤツね。進化の可能性だよ!
 すなわち! それをこれから目撃するんだよ! 君は! 人間は地獄の門番の下の存在なんかじゃない! 私達の『希望』そのものだよ! 『抜け道』を見つけ出すのはいつだって彼らだ!」
 カフカは下を向く。
「わーったよ! 元人間のお前が言っても説得力無いぜ。自分庇護もほどほどにな」
「口の減らない!」
 氷魚はニシシッと笑った。どんどん逞しくなっていくこの女。確かに何らかの「希望」が見出される。カフカは思った。
「さーって!仕事すっか!」
 NEETは声を張り上げて映像の方を一瞥した。