平坂と雲林院はとりあえずO県O市の漫画喫茶「ヘドラマニア」に陣を敷いた。個室に閉じこもってアルバム日記の類を読みまくる。速読力の衰えている雲林院と理解力の劣る平坂が互いに支えあった。
雲林院はK大へのコンプで頭がパンクするかと思ったが赤裸々な皆川の日記は想定より輝かしいものではなかった。
「友達と遊んだ記録が皆無だ。まるで俺みたい」
独り言を呟く。
「好感度アップって話ですよね」
平坂が言った。
途中からカフカに関する記述が出てくる。だが写真は一枚も無い。心理の展開が透けて見えた。どうやら付き合ってたのは本当らしい。
「許せんっすね。こんな美人の孤女の……。アレ? 彼氏いるのに孤女? 矛盾発見なりよ。先輩」
そうだ。そこがどうも臭い。カフカの事は良く分からないが一筋縄でいく奴でも普通な奴でもない事は確か。これはヒントの一つだ。
「独りでも生活を充実させる事はできるっス。しかしそうなるよう努力した形跡は大して見られないっスね。写真が少ない事少ない事……。
あっ、ホラ先輩。中学の頃の写真でしょコレ等。わざわざ引っ張ってくるなんて……」
油川氷魚とのツーショット。合宿先での吹奏楽部全員集合の図。雲林院にとってもソレ等は懐かしの一品だった。氷魚がオドオドしている。眼福だ。
引き続き閲覧の作業に移る。「将来の夢」みたいな物が散見されるがソレ等が一週間かそこらで変わってしまう事を発見した。
新聞記者、映画監督、生物学者、千石先生、食品化粧品製薬会社の研究員、杜氏、微生物ハンター、プラントハンター、UMAハンター、漫画家、etc。
おいおい皆川先輩ってこんなに地に足着いてない人だったのか? ミセス・パーフェクトみたいな人だったのに……。人って分からないもんだ……。
6月6日
カフカは××だから本当の意味で現世に馴染む事はできないと思う。
つまり私にとってカフカは酒のような存在だ。一時現実を忘れさせる化学物質。
いつまでもソレに頼って安住すべきではない。「我々」は「抜け道」を見つける必要があるのだ。
「抜け道」とは「生き残るための道」。刻限は迫っている。
生き残りを賭けた存亡の戦争が私の中で巻き起こる。
戦列にカフカを加えるのは私にとって不利な事だ。
呼吸をする権利を獲得する為の戦い。それが「人の生」そのものだ。
たまにこういうノイズのような電波な記述が混じる。雲林院や平坂にとっては比較的得意分野かと思われたが年上の女性が書いてると思うと正直少しひいた。
「中二病が混ざってるっスよ。この書物……」
平坂が口に出す。
中二病は人を殺す……か……。自殺する奴って全員中二病なんじゃないか?などという大胆な仮説を思いつく。
まあ無理矢理情報を精製するとするなら「先輩はカフカと何処か一線を引いている」、カフカにとても少なくしか頼ろうとしていない。期待していない」事が伺えるか。
「彼氏」はある意味「トモダチ」より遠い存在なのかもしれない。彼女が一瞬しか存在した事のない雲林院は思った。
「キター! バックパッカー体験アリっス! これは就職で有利ですヨッ!」
平坂が声を上げる。
人差し指を立てた後、雲林院も確認する。
8月14日
夏休み。カフカに内緒で屋久島へと旅立った。高速のパーキングエリアで長距離トラックのオッサンと交渉。さすが素材が良いだけあって食いつきは良い。
結局、出っ歯のお兄さん(島さんと言うらしい)に鹿児島まで乗せていってもらう事になった。
抜け道は屋久島にあると昨晩夢枕に立った父さんから言われたからの旅だった。
今は島さんの隣でコレを書いています。じゃ、私も少し寝ておくかな。
8月16日
私の真なる欲望は屋久島の森林の中で充足された。
まだ何か見つかるかもしれない。森の中で野宿しようと思うが見つからないか心配だ。
「野生派っスね……」
どん引きの平坂のやる気の炎が消えかけているのを感じた。
雲林院は皆川の新たな一面を発見した気がして興奮していた。面白いな、やっぱ先輩は。だから「先輩」たりえるんだ、と思った。
「作業を続けようぜ……」
「はい……」
また残りの作業に移った。
3年生も後半にさしかかると農学の話題が多くなる。勉強ってものは孤独に対してセラピーになる。それは雲林院も感じていた。皆川も同じなのだろう。
しかし皆川は自殺した。自分との決定的な違いはトモダチの有無だろうか。雲林院はそんな馬鹿でも思いつく仮説を立てた。
「ビンゴーッ! 農業インターンシップ経験アリ! こりゃ就職で有利っつー話!」
平坂がまた手がかりを見つけたようだ。
11月7日
身体が私に応えてくれる。雑念が端から消え失せていく。
きっと私の救いは大地と共にある。
インターンシップ来て良かった。
インターンシップは2週間続いたらしい。華奢な身体で良くやったもんだ。しかも喜んでるようだ。
「農業なんか儲からねっスよー。ホント高学歴様は志に生きてやがる」
「バイオベンチャーもハイリスク・ローリターンだからな。何度も言うけど」
平坂はケッと吐き捨てる。
「もう少しで終わりっスよ? 何か見えましたか? 先輩」
雲林院は手を顎に持って行ってブツブツ呟いている。
「絶望から希望を生み出す。陰極まれば陽だよ。ワトソン君。つまり180度の発想の転換が不可欠なのだよ」
雲林院が言う。平坂ははは〜んと鼻で笑った。
「そうとも言えるかもしれないスね」
「そこでだ」
「そこで!?」
う〜んとまた雲林院は考えだす。平坂は日記をその間に読み終えた。最後の記録にはこうある。
3月3日
世界が無から生み出されるならその前には永劫回帰が毘沙門天で不規則五箇条の転落人生をもって高貴となす思想に根ざした無味無臭それでいて簡素なビッグバンが急転直下の血となり性欲の権化と化した私の中のエゾオオカミが月に咆え今に啼くそれでいて中はもっちり外はカリッと成す四季折々の彩りに添え不可思議なる面妖の般若の紋章に八重の樫がその尾の魚と共に歩んだ道筋は不可侵の物となり屍踏みしめて歩いた姫は我が身を喰らいそして救いを見出す事はなかった。
「せてきそめし。縦読みじゃないっスねえ。完全にあっち側に逝っちゃってます。
これより約半年間記述無しって事ですね。あーもうやってらんねー!」
平坂が手をバタバタさせて暴れだした。雲林院は無視して長考ボタンだ。研究者なら! 此処で発想してみせろ! 内なる雲林院が叫びだす。
「俺のバイオベンチャーの秘書にしてやりましょうか? 美人らしいし」
「グッドアイデアかもしれんがちょっと待ってくれ」
雲林院が手で制する。龍の尾に触れん! やがて来る蜜月の為に!
雲林院もだんだん中二病に侵されながら考えも進めていった。
そうだ。「我々」は「抜け道」を模索する為に「生きる」有機体なのだ。いつか来た道。貴方の為にもう一度……。
平坂が大口を開けて欠伸をするのを目の端で見ながら雲林院は森野に助けてもらった日々の事を思い出していた。