ガチャリ。マンションの部屋の扉を開けた。
「っっっっんあーーーーーー!」
大きく伸びをして声を上げる。鏡都の街でこびりつかせた妖怪達を追い払う。
「雄叫びだな」
予期せぬ言葉にビクッとする。気づくとベッドにカフカが座っていた。
「また勝手に部屋入って……」
「あれー? この前勝手に入って良いって言ってたけど?」
カフカはふかふか笑った。
皆川は内心はちょうど話し相手が欲しいと思っていた所だったので悪い気はしていない。
「哲学の道で考えた!」
「馬鹿っぽいな」
ふかふか。皆川は気にせず話を始める。
「私には『明確な対戦相手』が必要なんだ。競争が大好きなんだよ! 私は!」
「ふんふん」
「高校の時はねー! 成績貼り出してくれたから戦い甲斐があった! でもね、大学は!」
「友達が居ないから切磋琢磨できないと」
「そう! 切磋琢磨! 落世中学の頃のクラスのスローガンだったんだ!」
「へえ」
「私の燃え滾るパトスを受け止めてくれる相手がいないのよ〜! アンタNEETだし!」
「本当、お前、家の中と外でキャラ違うぞ。外でもそうだったらドン引きされるか友達できるかすると思うぞ」
「中学の頃はぁ、努力しなくても友達できたのー!でもぉ、なんか気づいたらぁ」
「分かったよ」
「アンタが先に変わってよ! 本当に地獄の門番だったんなら職に就くくらいわけないでしょ!」
「楽しくないんだよ。現世の職は。俺の力量と見合ってない。働いたら負けかなと思ってる」
「NEET全開ね」
ふーっとため息をついて皆川はベッドに仰向けに横になった。
「ねぇ。感じるんだ。世界が人格を持って私に話しかけるのを。変になっちゃったのかな」
「ふん」
「世界って一つじゃないんだよ。今は60億ある。その内、人の数より世界の数の方が多くなっちゃうんだ」
「ふふーん」
「私の世界ってね。女性だよ。読書が好きそう。それで思慮深い。私を冷静に吟味してる」
「はっはーん」
「精神科行った方が良い?」
「いや、その人格を持った世界。その名前はプシュケ様だ」
「は?」
予期せぬ答に皆川はキョトンとする。カフカはニタニタ笑いだす。
「本当の意味の世界はやっぱり一つだ。その世界を統べる神様。それがプシュケ様」
「話合わせてんの? 無理矢理」
皆川はきゃらきゃら魅惑的に笑った。カフカは意に介さない。
「本当の世界は残念ながら一つなんだよ……」
カフカはそこで煙草に徐に火をつける。「ディメンション・マイスター」という銘柄だ。皆川はしばらく紫煙を目で追った。
「知覚できる世界は確かに60億あるかもしれない。でも猿の頭の中にそんなにあってもねぇ」
皆川はムッとする。
「上から見てるな」
「上だもの」
カフカは口を斜めにする。NEETなのに……。今は勝ってると思いますなのに……。
「プシュケって誰」
「だから現世の神様。俺なら、触れる。スゲエ美人だぜ」
なんだかなー。
「アンタ中途半端に変な力持ってるから現世に馴染めないんだよ」
「馴染みたくなくて馴染まないんだから良いんだ」
人を変えるのって難しいな……。皆川は自分も不本意な就職をしてカフカのようになるような気がしてきた。逆学歴コンプってやつ……。
「俺は無力だ。お前に友達を作ってやる事はできない」
カフカはツンと上を向いた。正直NEETの手を借りるほど落ちぶれたくない……。皆川は思った。
「何しに来たの……」
「分かってるくせに」
「嘘」
「ああ何となく」
怠惰な毎日。上がらない成績。繋がらない孤独。最低な彼氏。
身体にベトベトと不純物が纏わりついていく感覚ばかり増える。
これ以上の生に……何の……意味が……。
自分をこの世に繋ぎとめているのは……多分この男の存在だけだろう……。
もうそんな所まで来てしまった……。
カフカも同じように仰向けに倒れてきた。顔が至近距離に寄る。
「プシュケ様ならお前の友達になれるかもしれない。それに失敗したら、終わりだ」
皆川はハッとする。世界と交われるか、否か。人生の最大の問題はそこなのだ。ずっと空を飛んでいたらその事に気づけなかったかもしれない。落ちる所まで落ちたから、やっと気づけた。そういうルールだったんだ。
「終わりか」
「そっ。終わり」
ふかふか笑った。皆川もつられてクスクス笑う。空を飛ぶのは気持ち良いけど堕ちる所まで堕ちるのも楽しいものかもしれない。人間は大差ない。本当はK大に進学した自分は堕ちたとしても普通の人よりは上かもしれないのだが。
「昔が懐かしい……」
知らないうちに、一筋、涙が頬を伝う。
「正常な感性だと思うぞ」
素っ気無く返事が返ってくる。天下の皆川唯が……こんな所で……。後輩達に申し訳なくて仕方なかった。ゲンソーを抱いてる後輩達に。
「寝る……」
「ご自由に……」
皆川はそのまま暗黒の世界に身を投じた。カフカは悪いと思いつつその顔を見ていた。
プレイヤー4。その過酷な運命。この我執の強い女はそれに耐えられるのだろうか。心配でないと言えば嘘になる。
そうだ。我執。地獄の門番に少なくて人間に多い物。そこらへんに研究の余地がある。 だから関係が続く。それは良い事? 良くも悪くもない。
カフカはフッと笑って皆川と同じように目を閉じる。
人間は生に縛られている。孤独に縛られている。それに縛られない地獄の門番は何をすべきだ? 全く生きる目的が違ってくる筈だ。
それは、分かり合えないって事。そうだ。そうだろう。
カフカの意識はそこで途切れた。