フォルテシモ第七十七話「突破者の最期」 「ゼッ……ゼッ……」 「ハッ……ハッ……」 ライマが全身血まみれになって荒く呼吸している。 オセロのマインドマスターの存在が予想以上に厄介だ。 両手両足、確定した一つの部位が相手の意のままに操られてしまう。 攻撃性を完全に排除したサポート型の良いテレポンだ。 大してこっちは昔懐かしの爆音夢花火。 ガロアのプレゼンスというテレポンも強い。 爆発を吸収し、発散させる。 まるでライマを殺す為に現れた二人のようだ。 まいったな…… ライマは逡巡する。 「小僧。貴様は……」 鵺が口を開きかける。 ユアイは買い物に出かけている。 簡素なテントの中にライマと鵺しかいない。 「この4年、修行もせずに日雇い仕事ばかり。しかもレッドラムだと ばれないように手を抜いてばかり。一体何のつもりだ」 「フンッ」 ライマは鼻で笑う。 「ユアイを今夜貸してやっても良い。力を蓄える事を勧める。 そのような体たらくでは有事の際に真っ先に死んでしまうだろう。 昔の栄光にすがりつくな。体は鈍る。お前が死ねばユアイは 酷く悲しむだろう。そんな関係になった」 「フンッ」 ライマはまた鼻で笑う。 「5月のせいじゃなかったんだよ。やり尽くしたからだったんだ」 「ああ……」 鵺は頷く。 「ダラッとした日常が続いていく。ユアイの望んだ世界だ。 心の奥の奥で。お前はそれを知っている。お前はそれを…… 壊したくなかったのだな……」 ライマは目を瞑る。 「俺は突破者だ。その時が来れば道理を蹴っ飛ばしてやる。 そういう風に生まれついた人間だ」 「果たしてそうかな……?」 鵺は懐疑的だ。 「弱くなるのならお前をユアイの傍に置いておくわけにはいかない。 今、わしが殺してやろう」 鵺の手がメキメキと巨大化する。 「俺は……俺の望みはな……」 鵺の動きがピタリと止まる。 「ユアイと一緒にぬらっと生きていく事だ。ずっとずっと先まで……。 それだけだ。お前がいても良い。俺は、ユアイが好きだから」 鵺がニヤリと笑う。 「理想を語るにはそれに見合う力が必要だ。お前にはそれがない」 お前にはそれがない。 日々、ユアイは明るさを取り戻していった。 ライマはその変化に戸惑う。 俺も、変わらないといけないんじゃないのか。 なんだかそんな気が湧いてくる。 鵺の言葉を反芻し、 ユアイと数ヶ月に一度くらいの割合で交わり、 自分の気持ちが悪魔のような怪物のような物に変質していくのを感じた。 ユアイはライマの貯めた金を使って舞踏教室に通っている。 東南アジア、インド、アフリカ、 さまざまな国を回り、 その度、ユアイは笑顔を取り戻していった。 南国のように蝶のように 輝く笑顔はライマを虜にした。 だんだん弱くなってる自分と、 だんだん開放されていくユアイ。 これで良いって、思えた。 血気盛んな頃には無かった感情が芽生え、 ライマ自身も心の奥底に開放の種を感じた。 「好きだよ。ライマ」 何の気兼ねなくユアイはその言葉を口にするようになった。 その言葉を得る為にどれだけ苦労した事か。 最初会って戦った時からそれは始まっていた。 だけど変なんだ。 やっと手に入れたものが、 何の気兼ねなく発せられるようになったその宝物が、 なんだかどんどん価値を失っていくような、 自分が望んだ物と別の物に変化していくような、 そんな感覚につきまとわれて、 俺は袋小路に立ったような絶望的な感情に押し流され、 昔持ってて何処かで落としてきてしまった物を探すように、 5年ぶりに戦闘の修行を始めた。 体は鈍っていた。 手足が自分の物ではないようだった。 「ライマ格好悪い」 横でユアイが言う。 そう言って、太陽みたいに笑うのだ。 ユアイの変化は俺の功績だろうか。 そうだとしたら、嬉しいな。 「外に出れて、良かっただろ?」 「うん。ライマは突破者だもんね」 ライマはニッと笑う。 「色んな物を見よう。二人で」 「ん」 「俺はミナセみたいに面白い人間じゃないから、色んな物を、外の物、を見せてやるよ」 ユアイはアハハと笑った。 「ライマ、自分が十分面白いのに気付いてない」 ユアイは指差して笑った。 幸せそうだった。 それは嘘じゃない。 嘘じゃないんだよ。 「野生の太陽!」 ライマの右腕は直角に曲がりガロアを反れた。 「おらぁっ!」 ガロアの一撃が腹に直撃する。 爆破をもろに受ける。 内蔵が潰れる。 「だぐはっ!」 凄いスピードで吹っ飛ばされる。 「格好悪い。ライマ」 耳の奥でユアイの声が聞こえた。 「好きだよ。ライマ」 続けて声が聞こえる。 ライマの眼がオレンジ色に輝いた。 なんだよこの体たらく……パトスに笑われんな…… 壁を両足で支える。 なめんなよ…… 爆音夢花火をオセロめがけて投げつける。 瞬間、爆発する。 「わっぷ!」 相手も手練だ。 時間稼ぎにしかならない。 この一撃に俺の全てを賭けよう。 俺は突破者だ。 こんな逆境、糞喰らえだ! ガロアは狼狽している。 ライマが飛び立つのと同時に投げたトンファーは返ってきた。 悪くなかったんだ。ユアイ。 お前の為に、五年間生きた。 悪くなかったんだ。 最高だった。 有難う…… 生まれて初めてのそんな言葉が頭をよぎる。 もうこの手は使えない…… 頭を狙え…… 「ヘッドフォン・チルドレン!」 即興の新技! 「うおおおおおおおおおおお!」 ガロアが向かってくる。 俺の合理性!野蛮人!突破できるものなら突破してみろお! オセロは眼を見開いた。 右腕がもげて血が激しく吹き出した。 あばよ。ミナセ。ナナミ。ミズエ。カンジ。そして、ユアイ…… ドゴオオウ! 二人の衝突で互いの頭部が吹っ飛んだ。 鮮血が宙を舞う。 オセロはそれが現実の世界で起こった事だと認識できなかった。 そんな…… これで……終わり? 想い人は…… 薄暮の空に霧散した…… 右腕の痛みが和らいでいく。 後ろ頭がピリピリと痛む。 現実? 嘘? ガロア…… 「うわあああああああああああああ!」 オセロの嗚咽が木霊した。 二人は崩れ落ちる。 そしてピクリとも動かなくなった。 一陣の風が吹き抜ける。 「嫌だよ……もう嫌だよ……」 オセロはしばらく蹲って、泣きじゃくっていた。 「あれ……?」 後ろでライマの声が聞こえた気がしてユアイは振り向く。 しかし其処は鵺の中だ。 ライマがいる筈がない。 おかしいな…… アイツ……腕が鈍ってるみたいだったけど上手くやってるかな…… ドオン! 「あっく!」 ユアイは衝撃で思いを断ち切る。 鵺ごと後ろに吹っ飛ばされた。 吹っ飛ばしたのはバルトーク。 さっきからしつこく攻撃してくる。 「オラ! 化け物! これ以上、仲間を殺させねえ!」 青年は叫ぶ。 自分の事で精一杯なのが嘆かわしかった。 舞踏のレッスンはここでは何の役にも立たない。 「世知辛いな……」 ユアイは呟いて、眼前の敵に面と向かった