フォルテシモ第五十八話「月と海の戯れ」 



中央図書館に着いた。 
ネプトは肩で息している。 
心臓が早鐘のように鳴る。 
寝てないから大分眠い。 
しかし気をしっかり持たなければ。 
今日できっと友達になれるかどうか決まるのだから。 
俺の初めての友達に。 
気持ちを共有できるかもしれない存在。 
うん。しっかりやらないと。 
ネプトは図書館の門をくぐった。 
てか図書館なんか入るの初めてなんだよな。 
今の時代、こんな物よく残ってたな。 
大抵の事は電脳ページから学べるのに。 
俺だってずっとそうやって……。 
そこでルナの古風な服装を思い出す。 
日本刀だし。 
趣味かな…… 
嫌な顔はできないな…… 
館の中には古い本が高い本棚にギッシリ詰まっていて面食らった。 
変な匂いがする。 
有機的な場所だ。 
凄く場所をとるんだな。 
ルナは何処かな…… 
本棚の間を探して回ったけど見つからない。 
おかしいな…… 
2階に行ってみる。 
居た。 
本が塔のように山積みになっている。 
100冊近くあるだろうか。 
黒服のルナはそれをパラパラめくっている……ようにしか見えない。 
とても眼で追っているようには見えない。 
それほどのスピードだ。 
なんだか声がかけ辛かった。 
心臓がまた早鐘のように鳴り出す。 
やばい。 
汗が体中に浮かんでくる。 
足が動かない。 
そうだ。声のかけ方が分からない。 
まごついていると彼女の方からくるっとネプトの方を振り向いた。 
一歩下がるネプト。 
そうだ。彼女が俺の気に気付かない筈がない。 
「やあ。来たね」 
ルナは言った。 
「お……おう」 
ネプトは答える。 



なんか変じゃないか? 
「本読んでるんだ? 何読んでるの?」 
「んー。兵法とか歴史とか地理とか」 
全部ネプトの興味の対象外だった。 
俺は化学とか生物とか小説とかが好きなんだが…… 
のっけから雲行きが怪しいぞ…… 
「ふ……ふーん。俺も読んでみっかな」 
「良いよ。こっちの山読んだやつだから、読みなよ」 
おいおい遊びに誘ったのに読書かよ。 
ネプトは開いていた隣の席に座って古い本を読みだす。 
本当古いなぁ。かび臭い。 
ページめくるのもめんどいなぁ。 
隣でルナがパラパラ漫画を見るようなスピードで本を読んでいる。 
ネプトも真似してみる。 
10分悪戦苦闘した。 
駄目だ。読めない。 
俺は弱い…… 
最低だ…… 
普通の速度で読もう。 
しかし内容がチンプンカンプンだ。 
固有名詞インプットしてねえよ。 
何これ生きる事に関係ねー事ばっか! 
なんでこんなの読むんだよルナは。 
わざわざこんな古い無用な場所に来て。 
馬鹿じゃねーの? 

ハッ! 

気付くと横でルナがニコニコしてネプトの方を見ていた。 
顔が近い。 
ネプトの顔がみるみる真っ赤になっていく。 
「お口に合わなかったかしら?」 
ルナが言った。 
なんか知らんけど敵わねえ…… 
速読も……あと何かも…… 
「外に出て、買い物しません? お金はありますこと?  
 その後、前みたいに砂漠で対戦しましょ」 
ネプトの心臓の鼓動が高鳴っていく。 
「ああ……」 
ネプトはそう答えるのがやっとだった。 
「じゃあ行こっ」 
ルナがネプトの右手をとる。 
え…… 
ええええっ? 
またネプトの顔が真っ赤になる。 
そのまま手を引かれて階段を下りる。 
手が熱い。 
熱さが伝わる。 



やばい。 
俺もう駄目だよ…… 
ネプトの眼に涙が少量浮かんだ。 

それから刃物屋と雑貨屋に行った。 
ルナは色んな刃物を眺めてニヤけていた。 
客観的に見て危ない人だ。 
包丁を買った。 
ちゃんと食事を作るのに使うのだろうかと心配だ。 
雑貨屋では木で作られた木馬の小さな人形を買った。 
なんが可愛らしい所もあるんじゃないかと思った。 
そこまで彼女に付き合ったわけだが 
「君は何処に行きたい?」と聞かれた。 
買い物なんて食い物買う以外した事ないから戸惑った。 
そこでさっき読んだ歴史の本の事が気になって 
「本屋に行きたい」と行った。 
ルナは俺に行きつけの古本屋まで案内してくれた。 
頑固そうな爺さんが一人店の奥に居てルナと何かボソボソと話している。 
俺は「レッドラムの現在とその後」という本を買った。 
大した値段ではなかった。 
大した金は持っていないわけだが。 
真っ赤な表紙で500ページくらいある。 
本を買ったのなんて初めてだ。 
もちろん読むのも。 
ネプトは少し期待で胸が膨らんだ。 
外に出る。 
暑いな。 
カンジさん干からびてないかな。 
「さってと。対戦する?」 
ルナが聞いてきた。 
また緊張してくる。 
「ああ」 
ネプトは言った。 
その次の瞬間、また右手がルナに強く握られる。 
ああ、また顔が熱く…… 
体に圧力を感じ体が浮き上がる。 
ルナがジャンプした。 
風が額に当たる。 
こりゃ気持ち良いわ。 
ルナは建物の屋上に降り立った。 
無茶するな…… 
レッドラムならもっと慎ましく生きるものなんじゃないのか…… 
「無茶するな」 
「誰の物差しで?」 
ルナはそのまま建物から建物へとどんどんジャンプしていった。 



また風を感じる。 
この娘は自由なんだ。 
どこまでも続く青い空のように自由なんだ。 
箱の中の培養液につかった脳のような自分とは違う。 
世界と開かれている。 
自由自在だ。 
そんな所に、惹かれるのかな。 
不完全だな。人間って。 
自分と違うものが欲しいならそりゃいつだって欠乏状態になる。 
一人では生きていけないのかな。 
難儀だ。 
5年生きて人間の不自由さと自由さがやっと見えてきたような気がする。 
いや、まだまだこれからなんだろうけど。 
街を抜ける。 
空を飛んでいる。 
澄んだ青い空が見える。 
ルナの顔を盗み見る。 
笑っている。 
俺といるの、嫌じゃないのかな。 
きっとそうだ。 
この人は純粋だから。 
俺はそれに答えなければ。 
砂漠の上まで飛んでいく。 
視界が下がる。 
着地。 
砂が舞う。 
ネプトは手を放す。 
気持ち良かった。 
ルナはラジオ体操のように深呼吸している。 
スーッ。ハーッ。 
ネプトは間合いを開ける。 
腕に力を込める。 
亀の甲羅のような白い構造が右腕に現れる。 
今日も昨日と同じ「ゾエア」の文字が浮き出ている。 
ルナは伸びをしている。 
すうっと眼を開ける。 
……くるっ! 

ブン! 

ルナの姿が一瞬で消える。 
ネプトは眼で追えていない。 
「魚眠洞!望遠魚の章!」 
ネプトの目の前に黒いアイマスク状の構造が突然出現する。 
熱探知! 
行動予想! 



ルナの大体の動きの記録が眼鏡に映し出される。 
後ろ! 

ガキッ! 

竜宮の使いの章を打ちつける。 
硬い金属の感触。 
ルナは防御されて後ろに下がった。 
一日で随分やるようになった…… 
師匠がいるのか…… 
それ以上にやる気満々だこの子…… 
面白い……! 
ルナの眼がチカチカ紫に明滅する。 
ネプトはそれを見た。 
体がムズムズしてきた。 
相手にされてるよ俺! 
血が沸き立つ。 
魂が燃える。 
負けられない! 
ネプトの眼も緑色にチカチカ明滅していた。 
俺の全てをかける! 
ネプトは念じた。