フォルテシモ五十五話「水とサボテン」 



「合宿に行くぞルナ!」 
「は?」 
朝一番ルナが帰ってくるとミナセが言い出した。 
フリーダは一つしかないベッドで寝ている。 
服は着ている。 
「行き先はベルリンなのだァア!」 
ミナセはベルリンのパンフレットを持って言った。 
ルナは呆れ顔だ。 
「観光?」 
「その通ーり!」 
ミナセは言い放った。 
ルナは膨れっ面になった。 
「私は行かなくても良いんじゃないの?」 
ミナセは急に慌てる。 
「何言ってる。お前が居てこその旅行だろ?」 
「そうかなぁ……」 
そこでフリーダが起きだす。 
大きく伸びをする。 
「んー……おはようルナちゃん。ベルリンに旅行に行くらしいわよ……」 
二人とも能天気すぎる! 
ルナは不満だった。 
ミナセがルナに顔を近づける。 
「あのなルナ。旅行は旅行だが俺にとっちゃちょっと意味があって……」 
「そんな事聞きたくない!」 
ルナはミナセを振り切って外に飛び出していった。 
「あらら……」 
フリーダは口の前に手を広げる。 
「思春期ねぇ……」 
ミナセは少し後悔した表情だ。 
大人は自分が子供だった時の気持ちなんて忘れてる。 

3日後。ベルリン。 
大衆食堂。 
二人の人間が物凄い勢いで飯を喰っている。 
皿の音が鳴り響き空気音がせわしなく聞こえる。 
尋常な量ではない。 
数十皿の皿が重なり塔になっている。 
「あれだけ日雇い仕事したのに食費で全部消えちゃいますね」 
ネプトが言った。 
「気をつけろよネプト。あんま喰いすぎるとレッドラムだってバレる」 
カンジが飯を口に含んだまま言った。 
「師匠全然気をつけてないでしょ!」 
ネプトが突っ込む。 
カンジがフォークをカランと音を立てさせて置く。 
「ふーっ! ネプト! お前のピーの能力はまだまだ発展途上だ! 
 まだスカクロとやり合うわけにはいかん。だが決戦の日は近い! 
 ビシバシ行くぞ! ついてこいよ!」 
「オス!」 
ネプトもカンジも食事に戻る。 
周りの客達が冷や汗を垂らしながら見ている。 
二人は格好も異常だ。 
アイヌの民族衣装と見たこと無い未来系の銀ピカ衣装。 



現実はこうでなくちゃ! 
ネプトは思う。 
元気にしってかな母上。 
そう思う事も日を追うごとに減ってきた。 
不思議と寂しくない。 
カンジがいるからってのも有るかもだけど 
人間って本来そんなもんなんだ。 
「ようネプト。真夜中の修行が始まるまで観光しても良いぜ。 
 俺はまたバイトしてっから。メリハリも大事だな」 
「オス!」 
「ここに滞在するのは一ヶ月くらいと設定する。街を知っておくのも悪くねえ」 
カンジが言った。 
異国の町。 
風。 
どれもネプトの心を舞い上がらせた。 

ミナセとフリーダがベルリンの大通りを歩いている。 
ミナセは煙草をすっている。 
フリーダは電飾で彩る街をキョロキョロ見回している。 
ふいにフリーダがミナセと腕を組む。 
ミナセは少し緊張する。 
「意思は固いんだな」 
ミナセは何度目かの質問をする。 
フリーダはミナセの顔を見てニッコリ微笑む。 
「うん。あの子達ほっとけないから」 
ミナセは複雑な表情をした。 
「俺はお前にどんな影響を与えられたんだ?」 
ミナセは言葉の音を確かめるように言った。 
フリーダは意地悪い笑いを浮かべて少し沈黙する。 
「なんだろ……やっぱ水かな……」 
ミナセはフリーダの方を向く。 
「私がサボテンで、貴方が水」 
フリーダは歌うように言った。 
ミナセは前を向く。 
「昔、自分の事を太陽だって言う人と月だって言う人に会った事あるよ」 
ミナセが言った。 
「お前はサボテンなんだな。月の砂漠のサボテンか」 
フリーダが絡めた腕をキツくする。 
「好き……ミナセ……愛してる……それだけ……分かって…… 
 私、嘘つきだけど……これは本当……」 
ミナセはフリーダの肩を抱く。 
「俺もだから」 
ミナセは言った。 
それで良いのかな? 
何か誤魔化してないかな? 
この期に及んで 
何かを誤魔化したくない。 



気持ちは本物だけど 
引き止めなくていいのかな。 
ミナセは咄嗟にフリーダを自分に向き直らせる。 
フリーダは別に驚いた様子を見せない。 
肩を両手で掴む。 
掌をするすると下ろしていき背中に這わせる。 
そのまま抱きしめた。 
誤魔化してなんてないよ。 
俺達は好き同士だけど 
何か争いには別の要素があって 
それ以上に互いの醜い鋭い部分を見たがっている。 
俺達は野蛮な民族だから。 
野蛮なただの人間だから。 
牙を持った……羊…… 
馴れ合いは欺瞞。 
争いは真実。 
欲しているものは欠乏。 
渇き。 
乾燥した大地。 
注がれる水。 
それは嘘。 
嘘だから 
それは美しくて 
手が、届かない。 
俺が水? 
汚水だな。 
俺にはもっと君が 
水に見える。 
君がいるからまた生きようかって思えたんだ。 
閉塞された俺達の種の未来。 
慰めるものは水と風。 
俺が君の水になれたのなら幸いだ。 
二人は抱き合ったまま固まって動かなくなった。 
名残惜しむように 
残り少ない夏の日 
残り少ない隣を歩ける日々を。 
隣を歩く。 
それが俺達ができる精一杯。 
ミナセは思った。 

ネプトが別の大通りを歩いている。 
深夜までまだ少し時間があるがもう夜だ。 
ネプトは低レベルなテクノロジーを笑って歩いた。 
閉塞された研究所の中はある意味では外よりずっとファンタジーだった。 
母上はずっと、これから先も、そのファンタジーの中で生きていくんだ。 
それを望んでいる。 
本当かな? 
ネプトの中の一人が言う。 
外に出て色んな物を食べた。 



色んな人に会った。 
色んな音楽聴いて 
色んな本を読んだ。 
心が変わり頭も変わった。 
それは意味が無い事だったろうか。 
人間なんて所詮一生狭い箱の中で考え事してるみたいな生物だ。 
誰とも分かり合えないし 
本質的に誰とも触れ合えない。 
母上がよく言ってた。 
外に出てみて逆に少し分かった気がするよ。 
母上が言ってた事。 
ネプトは思った。 
息をフッと吐き出す。 
色んな事考えて生きるのも悪くないな。 

ゾクッ! 

瞬間、大気の圧力が増す。 
危険カウンターがビンビンくる。 
これは…… 
カンジがその能力の片鱗を見せてくれた時に感じる 
生命の危険信号。 
前だ! 
前から何かくる! 
ネプトは人ごみの中でかまえた。 
汗が頬を伝う。 

ドクン!ドクン!ドクン! 

心臓が高鳴る。 
邪悪な気が…… 
これは…… 
同族……? 

トン…… 

視界の隅に黒服の少女が見えた。 
背はネプトより少し高いくらい。 
古い服装だ。 
自分とのギャップが激しい。 
明らかな異彩を放っているというほどではないその少女に 
無意識に眼が動く。 
眼球運動が激しくなる。 
これは…… 
この気はこの娘の者か? 
そう思った瞬間少女は視界から消えていた。 
あれ? 
首元に悪寒。 
「あ……」 
何か冷たい感触が…… 
首から……下へ……下へ…… 



赤い物がポタポタ地面に落ちる。 
これは……血だ…… 
俺の命だ。 
顔の下に少女の顔がいつのまにか有った。 
背をかがめている。 
日本刀も見える。 
それで斬られたのだ。 
「気ぃ張りすぎだよ君。皆が迷惑よ?」 
少女が言った。 
紫髪だ。 
良い匂いがする。 
いつの間にか人が周りからいなくなっている。 
不思議だ。 
剣を突きつけられたまま知らずに何時間も経ったのだろうか。 
もう深夜だ。 
カンジさんに怒られる…… 
う…… 
あう…… 
「うわああああああああああああああああああああ!」 
ネプトは瞬時に後ろに飛び跳ねる。 
もう一度少女の全体像を確認する。 
黒服型までの紫髪そして日本刀。 
こいつはレッドラムだ! 
しかも俺より絶望的に強い! 
少女はニッコリ微笑む。 
そして言った。 
「私、ビョウドウイン・ルナと申しますの。貴方、ミナセに似てるわ。 
 思わずちょっかいだしちゃった……」 
一陣の風が吹き抜ける。 
自分の血の鉄のような匂い。 
生命が握られた感覚。 
彼我の戦力差。 
圧倒的な壁。 
少しの憂鬱。 
ネプトは運命が動き出した気配を感じていた。