フォルテシモ第四十四話「緑の逃走」 



チベット。 
平らに整地された大地。 
白い巨大なドーム状の建造物が建てられている。 
周りは砂漠。生物の気配は無い。 
エルサレムを攻めたスカイクロラの6人はそこに逃げ帰った。 
入り口を守っているレッドラムの傭兵に目配せして中に入っていく。 
中も外装と同じ真っ白な通路が続いている。 
そこを通り抜けると半球形の大きなホールに出る。 
正面にかなり大きいスクリーンがある。 
設置されているソファーで4人の人がくつろいでいる。 
銀髪オールバックのガロアは数学の専門書を眉を寄せながら眺めている。 
銅髪を逆立てたホメロスは棒つきキャンディーを舐めながらボーッとしている。 
黒髪セミロング青眼で黒と白の修道服のアリスは無表情でただただ俯いている。 
ソファーの上の手元にヴァイオリンが置かれている。 
栗毛色のロングの髪にクラシックなゴテゴテした服を着たフリーダは 
鼻歌を奏でながらヘッドホンで音楽を聴いている。彼女はスカイクロラではなくレッドラムだ。 
「ようジュペリ。お勤めご苦労さん」 
ホメロスはそう言ってキャンディーをガリガリ噛んだ。 
ジュペリは浮かない顔をしている。 
「どうした?」 
ホメロスが心配する。 
ガロアは専門書から眼を離さない。アリスも無反応だ。 
フリーダはヘッドホンを外して眼をキラキラさせた。 
トラブルの種を感知したのだ。 
「妙な邪魔に入られた」 
ジュペリがホメロスから眼をそらせて言った。 
そこで突然にスクリーンが移る。 
白い背景の上にアマントの上半身が映し出される。 
「そいつの名は分かるか? ジュペリ」 
アマントが言った。 
ジュペリは数瞬だけ逡巡してからアマントの方を向く。 
「ビョウドウイン……ミナセと言っていました。おそらくレッドラムです」 
ジュペリは言った。 
アマントの目じりがピクリと動く。 
この男はレッドラムを傭兵にしたりしているが基本的に憎んでいるのだ。 
「前大戦で最強のレッドラムのイザヤと競り合った男だ。 
 今の地球上でも最強クラスのレッドラムだ。 
 今のお前達では負けてもしょうがないだろう。 
 街の破壊が済んだのならその件に関しては不問とする」 
アマントが言った。 
モアがホッと息をつく。 
「アリス」 
アマントが呼ぶ。 
初めてアリスが顔を上げる。 
「ニューヨーク侵攻はお前に任せる。一人で行け。お前ならそれで十分な筈だ」 
ジュペリが狼狽する。 


「司令! ニューヨーク侵攻はもともと俺達の任だった筈!」 
ジュペリが叫ぶ。 
「聞こえんな」 
アマントはため息をついて呟いた。 
アリスはゆっくりとした動作で立ち上がる。 
「分かりました」 
アリスは呟く。 
その髪がふわっと一瞬舞い上がったように見えた。 
ジュペリは下を向く。 
「畜生……!」 
モアの所までその小さな声が届いた。 
「頑張ってねあーたん」 
フリーダが小さく手をあげて微笑みながら言った。 
イリスは無反応だ。 
「ジュペリ。お前達はエルサレム基地が完成するまでの周辺警護の任にあたれ」 
アマントが言った。 
ジュペリがパッと顔を上げる。 
「はい!」 
ジュペリが返事する。 
「やったね! 借り返せるかも」 
モアが小声でジュペリに耳打ちした。 
フリーダは腰を上げる。 
「さってと私はサボテン採集に行ってくる。気を落とさないでねジュペリ」 
フリーダはそう言って帰ってきた6人の横を通り抜けて行った。 
アリスもヴァイオリンを持って別の出口から出て行く。 
アマントの姿がスクリーンから消える。 
「へへへへ……」 
ホメロスが下手な作り笑いで笑っている。 
ガロアは結局専門書から一度も眼をそらさなかった。 

ミナセが岩の中の家で荷造りしている。 
ルナはトランクに腰かけて両手で顔を支え仏頂面でそれを眺めている。 
「どうしたルナ! 少しは手伝わんか!」 
ミナセが言う。 
「……あいつ等また来るよ。もう一回戦おうよ。私、このままじゃプライドがもたない」 
ルナは言った。 
ミナセはため息をつく。 
ルナの所につかつか歩いていってその肩をそっと両手で持つ。 
「俺は争い事は嫌いなんだよ。喧嘩売られない限り、どうしようもない時以外、 
 できるなら戦いたくない。それに現実をつきつけて悪いがお前はまだ 
 集団戦に長けたあいつ等と戦うには力不足だ。一対一ならお前は勝てると 
 思ってるかもしれないが勝負ってのはそんなもんじゃない。 
 勝った者勝ちだ。今は力を蓄える事を考えろ。蓄えて蓄えて 
 次に会った時にコテンパンにのしてやれ。恋は焦らずだ。 
 じっくり攻めろ。それが大人だ」 
ミナセは言った。 
ルナは仏頂面を崩さない。 
どうしても納得しづらいらしい。 
ミナセは思わず笑顔になる。 




「納得できなくても良いんだ。そっちの方が健康だと思う。 
 お前が血の気が多くて俺も嬉しいよ。なんでか分からないけど。 
 お前の母さんは表面は冷静でも中身はそりゃ相当血の気の多い人だったよ」 
ミナセはルナの頭をなでながら言った。 
ルナは牙を折られた気分だった。 
でもあまり悪い気はしなかった。 
なんだかいつも以上にミナセの大きさと強さを感じた。 
言う事を聞こう。 
そう思った。 
ルナはトランクからおりて荷造りを手伝い始めた。 
ミナセは笑顔でもとの作業に戻る。 
「イタリアに行こうかルナ。なんとなくだけど」 
「……うん」 
ルナは満面の笑みで答えた。 

太平洋のほぼ真ん中。 
ヨナタンよキタテハとカンジが簡素なイカダでユーラシア大陸を目指している。 
「どんぶらこっこ、どんぶらこっこ」 
イカダのオールを漕ぐヨナタンが呟く。 
3人は噂に聞いたチベットの白い巨大ドーム、そして 
羽の生えた突然変異レッドラムのスカイクロラの事を調査しに向かっていた。 
「せっかく平和が板についてきたのに俺ら以外の奴に厄介事起こされてたまるか」 
カンジが言った。 
「でもどうせ……自分達では起こすつもりなんですよね……厄介事」 
キタテハが言った。 
「だーかーら。俺達以外は皆敵だろ? 変な芽は即刻間引いてやる」 
キタテハはそっぽを向いた。 
頭から肯定できない人だと思った。 

ゾクッ! 

瞬間、大気の圧力が増す。 
昔スワナイ・ミズエが発していない紫の重い気を感じる。 
「なんだ!? 何か来るのか!?」 
カンジがわめく。 
ヨナタンは双眼鏡を取り出す。 
視界の中に黒い何かが映し出された。 
アレは……人……? 
空を飛んでいるようだが…… 
「カンジさん……空飛ぶ人ですよ……まさか噂の……」 
カンジは一瞬面食らってニヤッと笑う。 
「ああ。そのまさかだろうぜ。向こうからおいでなすったか! スカイクロラさん!」 
カンジは背中に力をこめる。 
「とう!」 
一気にイカダから飛び上がる。 
こちらでも大気が充足する。 
「はっ!」 
炎の梟、サウダージが出現する。 
「手を出すなよヨナタン! キタテハ! 俺が品定めしてやる!」 
カンジは叫んでヨナタンが影を視認した方向に全速で飛んでいった。 

日本。 
O諸島。 
その日、突然に十数人のレッドラムが研究所を占拠した。 




テレーゼ、アシモ、その他もなす術もなく拘束された。 
どうやら殺す気はないらしい。 
人材としてのテレーゼ達を欲しているようだった。 
「時代錯誤だぜ。まったく」 
青髪を逆立てピアスをつけた研究者ウィンダムが呟いた。 
リーダーの黒い軍服のスキンヘッドの男がテレーゼの方に寄ってくる。 
「テレーゼ博士。手荒なまねをして申し訳ない。 
 私達はテレーゼ博士のお力添えがほしくて今回此処に参上しました」 
男は言った。 
くだらねえ……この状況がくだらねえ…… 
テレーゼは思った。 
ネプト!聞こえる!? 
テレーゼは脳内で叫ぶ。 
何、母上。 
別室で漫画を読んでいたネプトが答える。 
テレーゼとネプトの脳にはチップが埋め込まれていて 
それを介して念じるだけで会話できるようになっているのだ。 
この研究所は占拠されたわ。 
まだそっちには手が回ってないようね。 
早く海に逃げないさい。 
そうね。欧州の方に向かうと良いわ。 
そこでバイトでもしながら生計立てなさい。 
テレーゼは念じた。 
ネプトは狼狽する。 
嫌だよそんなの! 
今、助けに行く! 
ネプトは念じた。 
予想通りの反応だった。 
テレーゼは一呼吸置いて、念じ始める。 
相手は腕利きのレッドラム十数人。 
今のあなたじゃおそらく犬死にする事になるわ。 
言うこと聞けないなら……縁切るよ? 
テレーゼは念じた。 
ネプトは背中に寒気を覚える。 
母上は本気だ。今言ったのは嘘じゃない。 
一瞬で悟った。 
私なら大丈夫よ。私の能力が目当てみたいだから。 
捕まった先でもそれなりの生活できると思う。 
分かるよね? 
大人のレッドラムの友達いっぱい作っていつか私を助けにきてちょうだい。 
どうせ助けにくるだろうから言うんだけど。 
テレーゼは念じた。 
分かったよ母上! 
絶対迎えに来る! 
ネプトは念じて、一気に走り出し窓を突き破った。 



それに気付く外の見張りのレッドラムが二人。 
「動くな小僧!」 
レッドラムの二人が銃を向ける。 

ダウ!ダウ!ダウ! 

連射される弾丸。 
しかしネプトはそれを全て避けた。 
必ず迎えに来るから……母上! 
ネプトは最後に念じた。 
「魚眠洞! 鮪の章!」 
ネプトは叫ぶ。 
ネプトの右腕が緑色に輝きネプトの周囲一メートルほどを 
魚の形をしたゲル状の黒い物体が覆う。 
「とう!」 
そのまま弾丸を避けながら海に没するネプト。 
「ちぃっ! まぁいい。 ガキのレッドラム一人だ。どうせその内野たれ死ぬ」 
弾丸を撃っていたレッドラムは呟いた。 
その時にはすでにネプトは何キロも離れた海中に居た。 
必ず……必ずだ! 
ネプトは念じた。